爾(そ)の時に富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)、仏に従いたてまつりて是の智慧方便隨宜(ちえほうべんずいぎ)の説法を聞き、又、諸の大弟子に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたもうを聞き、復、宿世因縁(しゅくせいんねん)の事を聞き、復、諸仏の大自在神通の力ましますことを聞きたてまつりて未曽有(みぞうう)なることを得(え)、心浄(こころきよ)く踊躍(ゆやく)し、即ち座より起って仏前に到り、頭面に足(みあし)を礼して却って一面に住し、尊顔(そんげん)を瞻仰(せんごう)して目暫(めしばら)くも捨(す)てず。
而(しか)も是の念を作(な)さく、世尊は甚(はなは)だ奇特(きどく)にして所為希有(しょいけう)なり。世間若干(せけんじゃっかん)の種性(しゅしょう)に隨順して、方便知見を以て為に法を説いて、衆生処々(しゅじょうしょしょ)の貪著(とんじゃく)を抜出(ばっすい)したもう。我等、仏の功徳に於て言(ことば)をもって宣(の)ぶること能(あた)わず。唯、仏世尊(ぶっせそん)のみ能く我等が深心の本願を知しめせり。