序品第一

概要

お釈迦様は、たくさんの弟子たちが説法を待ち望んでいるのを知り、無量義経を説き、瞑想に入られます(※さきに書き下し文を掲載した無量義経は法華経の中で説かれている教えなのです)。

この瞑想に入ったお釈迦様は、ご自分の眉間から光を出し、いろいろな時代の、様々な人々の仏道修行の様子を映し出します。

これにびっくりした弟子たちは、どうしてお釈迦様はこのような奇跡を私たちに見せて下さるのか?これには何か深い意味があるのではないか?と考えます。そしてお釈迦様が瞑想に入られている今、誰に質問すればいいのだろうか?と迷ってしまいます。

この弟子の中に、有名な弥勒菩薩さまがいらっしゃいました。弥勒さまは、仲間の弟子たちのこのような気持ち、迷いを共有し、考えました。そして智慧の優れた文殊師利菩薩様に聴けばわかるのではないかと思い、質問します。

文殊様は、今ここで起こっていることは過去にもあったと述べて、その時のことを話し始めます。

過去の仏様も弟子たちの前で無量義経を説き、瞑想に入られ、様々な修行者たちの様子を映し出されたと答えます。そして疑問を持った弟子の一人が答えてくれそうな優れた先輩にどうしてか?と聞いたとも(※今の法華経と全く同じ状態が過去にもあったと答えたのです)。

文殊様は、過去の仏の奇跡(※今お釈迦様が示した奇跡と同じ)は、そののちに説かれる仏の真実の教え・本心からの教えを説くための準備だといいました。なぜ様々な修行の様子を示したかというと、これらの修行の源泉となるたった一つの仏の真実の教え・仏の本心からの教えを説き、仏の様々な教え・修行を一つの体系として再構築したいと仏様は考えているからだといいました。仏教の分裂を終わらせ、本来あるべき一つのもとして集約したいからだと。

そして様々に説かれ、それによってさまざまに修業がなされている分裂している仏教が、これから説かれる教えにより、中心となるものを得て、一つに戻ることになるだろうと答えたのです。

これによって分裂した仏教は、一つの体系となり、大仏教として大きな救い、導きを我々に施すことだろう。瞑想が終わってから説かれる教えに期待するがいいと説いたところです。