概要
人間が信仰の対象(本尊)にするものは三つの徳を完備しなければならないとします。それが主・師・親の三徳。この三徳が円かに備わっている本尊はなにかと追及するために学ぶべきものとして、当時の宗教思想として儒(儒教)・外(インドバラモン)・内(仏教)をあげます。
以下、順次、儒・外・内とその教えの内容を簡潔に述べ、儒・外が説く教え・本尊より内が説く教え・本尊が優れていて、内の中では法華経が説く教え・本尊が最も優れているものと答えます。
そしてなぜ優れているのか?と考察すると、法華経には、法華経以外の経典では成仏できないとされた存在が本当は成仏できるとする説・二乗作仏と、お釈迦様の命・悟りは永遠だとする説・久遠実成があるからだとします。
こうして大聖人は、この二つの説があることにより、法華経が仏教の真の本尊、つまり三徳を円かに備えた信仰対象である久遠実成本師釈迦牟尼仏(ご本佛)が顕現されたのだ。法華経によりご本佛が顕現したことで、人間はどんな人でも、どこの時代・どの場所(環境)にいようと成仏できることが確定した。法華経には真の本尊であるご本佛からの導きという希望が説かれている。この希望を失わないために、法華経を信仰していかなければならないとしました。
ただ希望と同時に、この信仰を続けると、様々な迫害を受けるとも法華経に説かれています。そこで大聖人は、正しく無い思想の広まった世界で、それとは全く受け入れない正しい思想を広めようとすれば、迫害は仕方がないとの立場をとりました。
大聖人は、この立場で法華経を布教していました。すると法華経の教えの通り、迫害は日に日に激しくなり、ついには大聖人のみならず、信じる人々にも迫るようになりました。こうなると、これらの人々から法華経という正しい教えを信じているのに迫害に合うとはどういうことだ?と疑問や不安などが噴出します。
ご信者様たちの疑問などに答える形で、法華経の優位性・法華経布教による迫害の受容をもう一度、切々と説いた著書です。そしてどんなに辛いことが起ころうとこの信仰を貫き通し、ご本佛の導きにより成仏を果たすべきだと勧進しています。