救いの宗教、悟りの宗教

早いもので今日から5月…。1日の今日は当教会の恒例、壱部経祈願の日です。法華経を全て通読して、祈願するというものです。

妙法蓮華経全八巻

ゴールデンウィーク中は、農家の田植えをお手伝いしてきます。

 

さて、宗教には「救われる」と「悟る」の二つのパターンがあるように思えます。前者は救世主を求めるタイプといえ、後者は自分自身を高めていくパターンです。そして大部分の宗教は前者のタイプでしょう。偉大な存在に私たち人間が素直に従い、救われていくという物語です。どこで救われるか?おそらく死後の世界です。宗教は、死という最大の恐怖を克服するためにどうしたら良いかと誕生した一面があるでしょうから、このパターンの宗教も必要です。ただ、現代のように人間が長寿になり、ある程度豊かに暮らせる社会では、死後の救いを求める気持ちも減ってきているのではないでしょうか?

そこで、現代においては、後者のパターン・悟りを目指し自分自身を高める宗教が良いのではないでしょうか?仏教は本来、このパターンの宗教です。自分で仏の教えを学び、修行して悟りを目指すのです。これが本来の仏教です。こちらのパターンを信仰して、自分を高め、高めあった者同士が関係しあい、作っていくより良い「この世(私たちが現実に生きている世界)」を目指していくのです。このタイプでは、世界を自分がどうにかするなどと言った大風呂敷を広げません。まずは自分を高める努力をし、その上で自分が日常関わる家族や職場の同僚、近隣の人々などなど、こういう近い存在と感化し合いながら、少しずつ少しずつ、より良い世界を目指していくのです。ちょうどハンカチの角を水につけると、すこしずつ水がハンカチに染み込んでいくようなイメージです。こんな物語をもつ宗教が、後者のパターン・悟りの宗教だと私は信念しています。

 

新しい月です。良い一ヶ月になりますように。最後までお読み下さり、本当にありがとうございました。

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