間違いに気づいた時、それを自ら修正するのは勇気がいるものです。こういう場合、一緒にお題目を唱えてみましょう。

坊主をしているといろいろな相談を受けます。

中には、もうじぶんで間違いに気づいているのに、どうしたらいいのか?という相談があります。ずっとその間違いをかかえながら生きてきたという場合、間違いに気づいても中々修正できません。やっぱり人間は保守的なんですね。現状を維持したいとどうしても思ってしまう。たとえそれが間違いだと気づき、修正しなければいけないことだとわかっていても・・・。

こんなご相談を受けた時、当教会ではまず南無妙法蓮華経と一緒に唱えましょうと伝えます。そして実際に唱えていただきます。私も一生懸命唱えます。私の一生懸命さがご相談者様に伝わるように。ご相談者様には、お題目を唱えながら自分の中にある良心(仏様と同等の心持ち)と向き合うようにしていただきます。自分で自分の心と対話するということです。

この対話は、おそらく苦しいものです。経験では、泣き出す人・えづく人を見たことがあります。きっと感情がぐっっと表面に現れるのでしょう。自分の中にある心と心がぶつかり合うのでしょう。

そして修行が終わって、対話が終わって、心が定まった人はスッキリしたお顔になっています。準備が出来たのでしょうね。もちろん、一回の修行でこのようにスッキリする人は多くありません。続けていくことで、感情も表面化するし、心も定まるものだと考えています。

こういう相談の時、当教会ではお題目修行を勧めます。私のような未熟な坊主のへたな説法やご祈祷などを受けるより、お題目を唱えて自分で心の対話をすることのほうがよっぽど有意義だと考えています。この対話をした後のお話やご祈祷なら、少しは役立つと思っています。

この心の対話を通して、勇気を持ちましょう。やり直す、間違いを修正する勇気を得てほしいと考えています。きっと仏様、神様、そしてご相談者様のご先祖様が見守ってくれます。導いてくださいます。このように信じて、勇気を持ちましょう。

 

当教会は、様々なご相談にたいして、まず南無妙法蓮華経と唱えることをしてくださいと伝えるようにしています。唱えながら心の対話をして頂ければ、かかえている問題の解決策はご自分で見つけられると、このように考えています。私はそばで一生懸命にお題目を唱えています。ただそれだけのことしか原則いたしません。

このようなお寺です。これだけのお寺です。ご縁がありますように。

最後までお読み下さり、ほんとうにありがとうございます。

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