ねえ、坊さん、仏教って一つでしょ?だったら結局どのお経も同じことを説いてると思うんだけど、違う?

お手伝いに行ったお寺で、参拝の方と話していると、タイトルのような話が出たのです。

私の答えは、

「それは違いますね。仏教は一つの体系ではありますが、どのお経も同じことを説いているというのは間違いですね。法華経以外の経典は、仏教を分裂しかねないお経ですから。日蓮大聖人が聞いたら、きっとお叱りになると思いますね。」

といったのです。

 

仏教が一つの体系であるというのは、事実です。インドのお釈迦様が創始され、脈々と続いてきた宗教です。大乗・小乗(上座部)などいろいろな仏教がありますが、元はお釈迦様から始まった宗教と捉え、体系化されていると考えています。

この意味で、仏教は一つの一大体系。ここはそのとおりだと。

問題は次の部分。一つだから、結局どのお経も同じことを説いているというところ。ここは大聖人が厳しく批判しているところです。

仏教が一つの体系だということは、必ず中心となるものがあるということです。一番偉く、決して変化しないもの。これが中心とならなければいけません。この中心をご本尊というのです。ご本尊は、決してぶれません。確固として、私たちを見守り、導きづつける源泉です。

仏教という一大体系にとって、では御本尊とは何でしょう。創始者であるお釈迦様を立てる以外ないはずです。お釈迦様から仏教は始まっているのですから、お釈迦様が一番でなければ絶対おかしいはずです。

経典は、このお釈迦様が弟子たちに説法するという形で、ほぼ全て成り立っているようです。大概の経典は物語を持っていて、その物語に託して教えを説いています。中には、これはSFかと思うようなものもたくさんあります。

そうすると、この物語の中には、お釈迦様以上に優れているように思える、魅力ある登場人物が登場してきます。そしてお経を読んでいる人の中には、この登場人物に心が惹かれ、お釈迦様以上と信じてしまう人が出てきます。
むかし、シャーロック・ホームズをよく読みましたが、あの推理力に惹かれ、著者であるコナン・ドイルのことは一切忘れて物語にのめり込んだことを思い出します。ホームズの推理は、コナン・ドイルが創造したと言うのに、です。

同じように、お釈迦様が全ての経典を説いているご本尊であるという前提のもと、仏教は一大体系足り得ます。経典に出てくる人物がどんなに魅力的でも、その魅力を披露しているのはお釈迦様だということです。

ここを忘れると、登場人物がご本尊となってしまうのです。お釈迦様を差し置いて!こうして同じ仏教なのに、御本尊が統一されていないという自体が起こったのです。宗派が別れているのは、登場人物をお釈迦様以上に信じるという自体が起こったからです。

 

大聖人が信奉した法華経は、お釈迦様の魅力を現した教えです。教えの中の登場人物が持つ魅力は、実はお釈迦様の魅力なのだと説いています。だから登場人物ではなく、仏教の御本尊であるお釈迦様を信じれば足りると!ホームズが持つ抜群の推理力は、実際にはコナン・ドイルの推理力なのです。
このようにもう一度、お釈迦様をご本尊として、仏教を一大体系として元の姿に戻そう!このように説かれた教えが法華経であります。法華経のこのような主張を敏感に感じ取り、布教をされたのが日蓮大聖人であります。

 

法華経の主張するところを意識した上で、外の経典の物語を学んでいかないと、仏教は別れ別れになってしまうということ。ここは法華経・お題目の教えを信じるものならば、意識していきたいものです。

 

ちょっと気になったことを書いてみました。最後までお読み下さり、本当にありがとうございます

コメントを残す