不思議なことってあるもんだ

家内が図書館で本を借りてきました。小野不由美さんが書いた「残穢」というノンフィクション。ある人が、自分が引っ越した部屋から変な音が聞こえるという話を著者にしたことから始まる話です。そしてこの部屋にいろいろな因縁があったのではないかと探っていく物語なのです。興味があったらお読み下さい。オカルトチックに面白おかしく書くのではなく、淡々と事実を積み上げていく展開です。そこに現れる因縁が本当に原因となっているのか?なっていても信じたくない?信じられない?と苦悶しながら書かれているのが好感できます。

著者のように、霊など信じないという人は多いです。普通に生活していて見えるものではないですから、信じないのも当然です。坊主をやっている私だって、見えたな(感じたな)と思える体験はほんの僅かです。こういうことに普段かかわらない方は、そんなの眉唾と思ってしかりなのでしょう。

でもどこかの場所に行って、ここはなんとなく嫌だなと思った経験はありませんか?反対にパワースポットみたいなところに行き、ここはなんとなく良いと思った経験は?その人その人の主観なんでしょうが、こういう経験は霊感と言えるのではないでしょうか?嫌と思った時は、嫌な霊が感じられていて、良い時は良い霊だと。

以心伝心などいう言葉もあり、長年連れ添った夫婦は「おい、あれ」で意思疎通が出来ていたとか(今では考えられませんが)。言葉に言わなくても、なんとなく相手のことが感じられるって経験は誰だって一度や二度はしていることでしょう。これが一種の霊感だと私は考えます。

 

話を戻しますが、事故物件って確かに嫌な感じを持つことが多いように思います。何度もこのような物件のお祓いをしてきましたが、確かに背筋にヒンヤリしたものを感じることが多いです。だから一生懸命、不遇な死を迎えた霊に対して読経・唱題をして成仏を祈らせていただいています。その後、ここから立ち退いてもらうようお祓いをしています。なんとか次の人が借りる時、嫌な感じを持たずに、落ち着ける住まいとなってもらいたいと念じながら。

今ではあえて事故物件を借りる方もいるとか。私は、しっかりとお祓い・供養をしてからでないとこういう物件は使わないほうが絶対にいいと考えます。意識するしないにかかわらず、必ず、影響がでると信じるからです。パワースポットを信じるならば、事故物件も信じるのが整合性のある態度だと思いますね。

 

私たちの心は、本当にいろいろなものを感じ取るのです。私はこう信じています。言葉や思考にははっきり分からなくても、心にははっきりとしているのだと。仏教では、私たちの心は全てのことを映し出す鏡だと言っています。つまり私たちの心は、私たちの意識には登らない不思議なことを見ているということでしょう。世の中の不思議な現象をしっかり映し出しているのでしょう。こう考えています。

映し出されたものが、心の中に積もっていき、私たちの生き方・考え方などに影響も出てくるのではないとも思っています。だからちょっと嫌だなという感覚は大事だと思います。こころが私たちに、これはちょっとと疑問を投げかけていると取れるわけですから。

分からなくても不思議なことって、あると思うのです。

筆に任せて書きました。最後までお読み下さり、ほんとうにありがとうございます。

コメントを残す