純一実相

摩訶止観(まかしかん)という書物にタイトルの言葉があります。

この世は全て含んで一つ(の実相)であると言った意味だと受け取っています。私と他人などと区別するのではなく、もっと大きく俯瞰してみていくことで、たった一つの大きなものとしてこの世を見ていく姿勢を説いているのだと。

私たちは、自分にわからないものを嫌います。だからわからないものを小さく小さくして分かるようにして物事を捉えます。これが科学的な手法と言えるものではないでしょうか?大きな問題も小さく区切れば解決できると言った考えも同じです。私たちは漠然としたものを嫌うのです。

 

しかし宗教・信仰は、この漠然としたものを漠然としつつ認めていきます。ここに畏敬の念とも言えるものを起こし、自分を見つめようとします。そして反省・精進をしていきます。

大切な人の死に接して起こす悲しみ。これは漠然とした死というものを突きつけられた時の恐れから来るのでしょう。

大自然に接したときに起こす自分の小ささ。これも漠然とした大自然への畏敬の念からでしょう。

 

私たちは科学的な考えを好みつつ、宗教的な気持ちも持ち得ているようです。

分かりたいという気持ちは大切ですが、なんとも言えないわからないものがあることを認め、これと向き合うのも大切だと思うのです。自分の不完全さを認め、よりよく生きていくために!

 

純一実相という、一種の境地を認められるようになること。これがお題目修行の目的と言えるのではないかと思います。もちろん、他に言い方はあると思いますが…。

 

またまた筆に任せて書きました。最後までお読み下さり、ほんとうにありがとうございます。

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