自分を赦す

最近の自己啓蒙書のタイトルを見ると、自己肯定感という言葉がキーワードになっているように思えます。自分を肯定すること。ありのままの自分を認めること。これが自己肯定感というものなのでしょう。

こういう気持ちになれればいいのですが…、正直、とってもとっても難しいと思うのは私だけでしょうか?

なぜって、日々、自分の至らなさを実感しているから!もっと出来るはずなのに出来てないという至らなさではなく、とにかく自分がまだまだだという実感があるから。より良い自分を思い描いての至らなさならばいいのでしょうが、思い描くことさえない至らなさ…。こういう実感があるんですね、私には。皆様はどうでしょうか?

 

自己肯定感、持てるならば持ちたい。こう思っています。何かセミナーでも受けて、肯定感を持てるならばやって見る価値はあるのでしょう。

でも難しいなと思ってしまう私のような考えの方がいらっしゃるならば…。

 

今、自分が抱いている気持ちをそのまま泳がせておくのも一つの手です。これは摩訶止観という書物にのっている方法です。この書物では、人の負の気持ちを魚に例え、それを制御しようとする方法を釣り竿に例えています。負の気持ちである魚にはもう釣り竿から伸びる針がくっついている状態です。釣り竿を操ってすぐにでも魚を取りたいでしょうが・・・。魚だってすぐには釣られたくないのです。だから必死に動いて針から逃れようとします。こんな時は、魚の動きに合わせ、しばらく泳がせておくに限るというのです。泳がせておけば、自然と疲れてきて動きが鈍る。ここを捉えて釣り竿を動かせば、魚が取れるのだと。

 

まず自己肯定できない自分をそのまま赦していくこと。苦しいけど、これが自分だと赦していくこと。このようなスタンスでいてもいいのではないかと思うのです。ただとても苦しいでしょう。それに心が病んでいく可能性も無きにしも非ずです。こういうときこそ、宗教・信仰が役立つのでしょう。見守られ、導かれているのだという安心を持つことが必要なのでしょう。このような安心を持ちつつ、自己肯定できない自分を赦していく。

こういう過程で、自分というものが変わっていくのではないかと思っています。むやみに自己肯定、自己肯定と動かなくてもいいのかなと。…結局、結果は同じものになる気はしますが…、摩訶止観のアプローチをご紹介しました。

 

最後までお読み下さり、ほんとうにありがとうございます。

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