インフルエンザに罹る

1月は散々でした。

月の半ばから、家族が次々にインフルエンザに罹患し、最後に私も。熱が39.8℃!これが2日も続きました。

大人になると高熱は体に応えますね。体の芯が冷えたような感じが続き、体中の関節がギシギシ痛む。頭はガンガン、胃腸はゲーゲー。

久しぶりに大変な病気に罹ってしまいました。冗談ではなく、このまま死んでしまうのでは…などと布団の中で思ってしまいました。

「死」というと思い出したのが先日子共に言われたことです。子供が「お父さん、人は死んだら天国にいくんだよね?」って聞くんです。子供はまだ小さいので「そうだよ」とだけ答えました。でももっと大きくなったら、これだけではいけないのでしょうね。

自分という存在がもはや存在しなくなった時をどう受容するか?この時、自分は何なのか?存在しないから無価値にしてしまっていいのか?このような視点で私の思うところ(信じる所)を伝えてあげる必要があるのかなと考えています。

今まであったものが無くなることで、無価値になるというのではあまりにも寂しいですから。人の一生は長く複雑でずっしりと重い物。このようなものが死によりなくなるなどと考えるのは間違いだと思います。

一人ひとりの人生を価値あるものと認める。そしてその人が亡くなった後もこの価値は永遠に無くならないのだとしていく。このような姿勢が大切だと思います。

この姿勢をみんなで貫いていくために、供養という宗教儀式が行われるのではないでしょうか。供養を通して故人を思い出し、故人の人生を価値あるものと再確認していくのです。これを家族、子共、孫と共に行うことで、自分が死んだ後も、自分の人生の価値を子々孫々が再確認してくれるようになるのだと思います。

通夜葬儀、年回忌など単なる儀式として行うのではなく、以上のような視点を持って行っていただければ、もっと意義あるものとして受容できることでしょう。

それにしても本当に死ぬかと思いました。今回のインフルエンザは・・・。

思ったことを少し書いてみました。最後までお読み下さり、本当にありがとうございます。

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