ご先祖様を供養しよう

もうすぐ春のお彼岸が始まりますね。今年は18日(月)から24日(日)までがその期間です。この期間になんらかの先祖供養アクションを起こしていただきたいと願っています。

先祖ってどういう存在でしょう。

よく法話で使われるのは、今の自分があるのはご先祖様のお陰というものです。

両親がいて、祖父母たちがいて、何代遡ってもご先祖様がいる。このご先祖様たちが配偶者と出会い、家庭を営んだからこそ、今の自分がこうして生まれてきた。どのご先祖様の出会いも絶対にこうあるべき出会いであり、それ以外の出会いがあったら自分は誕生しない。ご先祖様一人ひとりは、私にとって絶対的必然の方々である。

私という存在にとっては誰一人かけることが許されぬ大切な存在。これがご先祖様だというのです。自分の生を思うならば、これらの方々に感謝しなければいけないと言うわけです。

なるほどなと思うのです。そのとおりとも思うのです。どうか自分の命を思い、そのルーツであるご先祖様に感謝をしていただきたいものです。

上の話はもっともだと思っています。このとおりだと。しかし私はもう一つ面白いなと思うことがあります。

それは先祖を辿っていく、感謝していくことは神秘的な存在に直接触れ合う行為だということです。

どういうことかと言うと、自分という存在は両親がいて、祖父母たちがいて・・・このように遡ってみる。こうしてどんどん遡ってみる。もう先祖の名前など分かりません。でもそのご先祖様も自分と同じように両親から生まれたんだよなと、こうして遡ってみる。するとどうでしょう?物事には始まりがあるというのは、当たり前のことです。でもこの当たり前のことが想像できないのです。両親がいて子供が生まれる。こういう常識で遡ると、最初はどうなっているのか想像がつかないのです。そして両親から生まれるという発想ができなくなるのです。私たちの常識外とも簡単にくずれてしまいます。

それでも何かから誕生するのだと考えるならば、そこに超越的な存在を認めざる得ません。私たちの常識では捉えられない、超越的な、絶対的な存在を立てるしかありません。

西洋の一神教は、これをゴッドとしたのでしょう。全知全能の存在です。この世も私たちもゴッドに作られた創造物という立場です。

仏教は、真理・法則として理解したものと考えています。何かから何かが生まれるという真理・法則が常に働いているという考えです。だから超越的な存在は必ずしもいらない!!そして真理・法則だから、私のような凡夫でも知ること(悟ること)できる!!

仏教の立場から、先祖供養をすると、尊い真理・法則に知らず知らずに直結していくのだと思うのです。先祖供養をすることで、こういう始まりの混沌としたところにある何かに思いを馳せる経験が出来るのではないかと思うのです。そしてこの経験は、私たち生きている者にとってとても大事なのではないかと思うのです。

筆に任せて色々書きました。最後までお読み下さり、本当にありがとうございました。

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