壱部経祈願

元号が「令和」になりましたね。気分一新、世界も日本も「和して」いく方向に進むことを切に願うものです。

さて、令和最初の日、妙心教会は恒例の「壱部経祈願」を行います。これは法華経(正式名称は妙法蓮華経)を全て読誦して、この月の守護を願うものです。

この祈願は、私が代表になってよりずっと続けているものです。かれこれ20年以上…。我ながら随分続けているものだなと思います。

宗教・信仰って、これだけ人間の叡智が発達したら必要ないという方がいます。神様にお願いするよりも、人間の叡智に頼ったほうが現実的だというのです。例えば、病気になったら医者に行けということです。

人間の叡智は進み、確かに神様にお願いするより遥かに私たちの生活に役立つようになりました。これは事実でしょう。否定できないことでしょう。

では宗教・信仰はいらないのか?当教会はそうとは思いません。人の叡智が進み、宗教にお願いするだけだった時代以上に、その役割は大きくなったように思います。

なぜか?

人は何かを成すと「慢心」するからです。自分はこれだけのことをやったのだと傲慢になるのです。これは旧約聖書に出てくるダビデ・ソロモン王の事績からも言えます。歴史を見ても、若い頃は素晴らしかったのに年をとってとんでもない過ちを起こしてしまった王の事績などが出てきます。

人間は全てと言ってもいいと思いますが、何かをしたと思うと、慢心・傲慢になるのだと思います。自分に当てはめてみると、本当によくわかります(苦笑)ちょっと何かが出来たと思うと、すぐ鼻を高くしますから…。

この慢心・傲慢を解決するものとして、宗教・信仰は現代においてより役割が求められるのだと思います。

つまり宗教・信仰は、慢心・傲慢の反対を教えるものです。それは謙虚であり、畏敬の念でしょう。自分の周りに対する接し方を見直すことを教えるものなのでしょう。周りに対して、高飛車になっていないかと。

神・仏を信仰するということ。これは畏敬の念を持つということ。慢心・傲慢にならないということです。

このようなことを私たちの教えるのが宗教・信仰なのでしょう。

神・仏をも凌ぐ力を持った私たち人間。慢心・傲慢は極度に達しているものと思われます。もう一度、自分一人では何も出来ないという謙虚・畏敬の念を宗教・信仰を使って取り戻していきたいものです。

さてお経を始めましょう! 令和が良い時代になりますように祈りながら!!

最後までお読み下さり、本当にありがとうございます。