お釈迦様と久遠実成本師釈迦牟尼仏

仏教は、インドに人間として生まれた釈迦牟尼仏により創始されました。この釈迦牟尼仏がこの世の真理を悟り、広めたのが仏教です。

つまり私たちと同じ人間が悟り、出来上がった宗教なのです!

しかし仏教も時代を経ていくと次第に神格化するものです。権威化するものです。何でもそうですが、長く続くものになにかしらの魅力を持ってしまうのは私たち人間の性でしょう。

お釈迦様も人間では困ってしまうのです。そこで世界にはいろいろな仏がいると説かれるようになります。大乗仏教というものです。阿弥陀様・大日如来・薬師如来などなど様々な仏様が説かれるようになります。そしてどの仏様も、私たち人間を超越した力を持っているのです。

仏教は人間・お釈迦様が創始した宗教です。でも時代が経つと人間・お釈迦様以上の力を持つ仏様が登場するのです。どこにかというと、経典の中にですが!

そしてこの超越的な仏様をご本尊にして仏教の信仰をするグループも現れます。お釈迦様は尊いけれど、私たちの仏はもっと尊いのだよと。

こうして仏教は様々に別れます。人間・お釈迦様が元祖で、いわば仏教の中心のはずなのに、中心がずれてしまいます。少なくとも当教会ではこのように感じてしまいます。

わからなくもありません。だって人間・お釈迦様は所詮人間なのです。私たちと同じ部分が多々あるのです。こういう仏様より、もっと超越した力を持つ存在のほうが何かしてくれそうに思えます。特に本当に苦しんでいたり、困っていたりしたら、絶対的な力を持つ存在も求めたくもなります。

でもです。その超越した存在を軸に信仰が確立されると、仏教は分派します。今日本にいろいろな宗派があるのは、このようなわけでしょう。

崇める仏様は、お釈迦様でなければいけないと当教会の宗祖・日蓮大聖人は仰っています。仏教では崇める対象を本尊と言ったりしますが、この本尊は一つでなければいけないとおっしゃいます。一つにするならば、仏教を作ったお釈迦様が本尊にならざる得ないでしょうと。実際に創始したのか、それともお経の中に説かれているのか。こう比べてみれば、どちらが偉いかは明確だろうと。

ただ人間・お釈迦様では、もう私たちは満足できないのです。超越した力を求めたいのです。そこで説かれるのが、人間・お釈迦様が久遠実成本師釈迦牟尼仏なのだという法華経の教えです。久遠実成本師釈迦牟尼仏は人間・お釈迦様なのだと言ったほうがいいかもしれません。

これは人間・お釈迦様に仏教の全ての権威を集中させるために説かれたものだと考えています。阿弥陀様も大日如来さまもお薬師様も、弥勒菩薩も何もかも、お釈迦様が姿を変えて現れたものだとしていくのです。

このような変身ができる、絶大な力を持った人間・お釈迦様を久遠実成本師釈迦牟尼仏と現したのです。このように説かれることで、人間・お釈迦様は私たちと同じように死んでしまいますが、姿を変えてどの時代にも私たちを見守ることが出来るようになりました。つまり永遠の命を人間・お釈迦様は手に入れたのです。

仏教の御本尊は、法華経が説かれ、人間・お釈迦様が久遠実成本師釈迦牟尼仏だと明らかになり、本当の意味で一つに定まったのです。

私たちは、これにより仏教を一つの体系化された宗教として信仰していくことが出来るようになったのです。

妙心教会では、このように考えて、お題目・法華経の信仰を有縁の方々に伝えています。

最後までお読み下さり、本当にありがとうございます。