末期がんを患っていらっしゃるお施主様のご依頼で年回忌法要をしてきました

無力である…。

先日ご依頼いただいた法要を執り行わせていただいたとき、つくづく思ったのでした。

ご自分は抗がん剤治療も難しくなっている状態だというのに、亡くなった両親の年会に当たるからと法要を行っていただけたのです。

座っているのもやっとという状態。それでもご両親のご供養をされたのです。

仏様が、神様が、ご先祖様の霊魂が私たちの心の中ではなく、私たちと同じようにこの世に存在しているのならば、どうかその奇跡の力を示してほしい。心の問題ではなく、現実として奇跡を起こしてほしい。

法要を営んでいる時、心底思ったのです。

法要が始まる前、ご両親の供養という善行をしたのですから、必ずや御守護があることでしょう。大変でしょうが、ご家族と協力して、治る希望を持ち続け、とにかく何でもやってみてください。きっと御守護が表れるはずですからと話して法要を始めたのです。

法要を終わった後、これは話すかわからないけれど用意しておいたお話をしました。

それは仏様の命は永遠の命。私たちの命は有限の命。一本の線を引き、それを拡大してみていくと無数の点によってできているという。仏様は線としての命であり、だから永続するのだ。私たちはその線の中の点としての命をいただいているのだ。

この私はいつかこの世からいなくなる。誰もが平等にいなくなる。でも私の命は、線である仏様の命を構成する無数の点の一つなのだと思うならば、永続していくことが出来る。永続していくのだと思えるだろう。

これは信仰の力による解釈ではあるが、親から命をもらった自分。そしてその自分が年を取り、子供を育て、孫が生まれた。このような命の相続を考えるならば、あながち無意味とは言えないだろう。

このような信仰によってあらわれる命の在り方についても知っておいてほしい。

このようなことを話したのです。こんな話をしていいのかと…。しかし宗教にかかわるものとして、信仰の力による命について話さなければいけないのではないかと…。

お施主様と参列されたご家族はみな静かに話を聞いてくれました。……。

私は何と無力なことか…。そして手にできるのならば、力がほしい。このように心底思った年回忌法要でした。すこしでもお施主様が元気になられますようにと毎日お祈りだけはさせていただいている次第です。

最後までお読みくださり、ほんとうにありがとうございました。