五感に感じない仏神・霊魂になぜ人は手を合わすのだろう

お盆の時期です。有縁の方々にどうか先祖供養をしてくださいと伝えています。

しかし、ご先祖というもうこの世にいない方々。この方々は霊魂となったと言われているわけですが…、その存在を感じることが出来る人はほとんどいないわけです。感じられるのは、霊能力者か優れた宗教家なのでしょう…。

私には感じることが出来ません。

こういう存在にたいして供養しましょうと伝えているわけです。いるとかいないとかはその人の心の持ち方次第。このような存在となったご先祖様を供養しましょうと伝えています。

深く考えずに、いると思う方に先祖供養しましょうと伝えていればいいのでしょう。それが円満な解決策ですから。

しかし私は誰もが先祖供養をしてほしいと思うのです。例え霊魂という存在を信じない方にもです。

なぜか?

私たちもいずれこの世を去っていくからです。必ずその時が来るからです。そして自分の人生と決別しなければいけないからです。

人生には人それぞれの掛替えのないドラマがあることでしょう。うれしかったこと、嫌だったこと、苦労したこと、…いろいろなことを考え、自分なりに生き抜いた人生です。この自分だけの人生と決別する日が必ず来ます。

私は、その時のことを思うと恐ろしくなります。自分がいなくなることに対して恐怖を抱きます。自分が消えてしまう恐怖…。このように言えばいいのでしょうか?これをとても恐れます。

皆様は、どうでしょうか? そして亡くなったご先祖様たちはどう思ったのでしょうか?想像したいのです。

すると、私は同じ恐怖を持っていたと信じたいのです。そしてこの恐怖を少しでも緩和できたらと思うのです。

この恐怖を緩和するため、霊魂という存在は有用となるのではないでしょうか?先祖を供養するという子孫の行いに価値があるのではないでしょうか?

つまり自分は死んだら霊魂となるのだ。そして自分の子孫たちが感謝してくれるのだ。子孫たちは、あなた(先祖)の人生があったからこそ、今、こうして生きていられるのです。ありがとうと感謝してくれるのだ。だからたとえ自分がこの世を去っても、自分が全くなくなるのではないのだ。自分の人生によってつながった子孫たちがいて、きっと感謝してくれるのだから。このように安心が得られるのだと思うのです。

供養というのは、家族で、親族で、そして子々孫々にわたって続けていく必要があります。この続いていくところに、死の恐怖・自分がいなくなる恐怖からの解放があるのだと思うのです。

霊魂は、いるいないではなく、いると思うことで、そして子々孫々にわたって供養していくことで、死の恐怖・自分がいなくなるという恐怖からの解放を目指すために有用なのだと思うのです。

このような側面があるのだと妙心教会では考えています。

どうか有限の命を持つ人間として、いずれその日がやってくる存在として、ご先祖様に思いをはせていただきたいと願うのです。有限の命・人生に永遠の価値を見出したいのです。だからこそ子供、孫を連れて、先祖供養をしてほしいと願うものです。その子たちが大人になっても先祖供養を続けてくれるように見本となってほしいと願うのです。

当教会で思っていることを少し書いてみました。最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。