読経を聴いて心動かされた経験があります

私、お寺に育ちました。でも大本山に修行に出る前までは、自分の家の宗旨がなんなのかも知らない子供でした。当然、お経など読んだこともないわけです。お寺の子ですが、お寺を継ぐという選択肢は全くありませんでした。正直言えば、絶対あり得ないと決め込んでいたのです。

でも私が16の時、先代が遷化します。残されたのは、母と私…。

このような状態のとき、母が読み始めたお経に心動かされたのです。技術など全くなし。かなつきのお経本をつっかえつっかえ読むのです。どこに心動かされる要素があるのだろうというほどの読経でしたが、心が動いたのです。

きっと専業主婦だった母は、父(先代)が遷化したことで不安いっぱいだったのでしょう。子供と一緒にどうしようかと迷っていたのでしょう。

おそらくこのような気持ちを抱えて、読経を始めたのだと思っています。

切実な気持ちだったのでしょう。仏神にどうにかしてほしいと思うほど、切羽詰まっていたのでしょう。これからの生活を思うと不安しかなかったのでしょう。今では、このように理解しています。

このような気持ちが入った読経だったからこそ、聞いて心が動いたのでしょう。なにせ、成ることは絶対にないと考えていた坊主の道に進んでしまったのですから…。

読経は技術云々ではないと思っています。切実な思いを乗せるように読むことが必要なのだと考えています。

そしていまだに満足のいく読経が出来ていないと思うのです…。読経さえできないのかと…思うのです…。

ちょっと昔のことを書いてみました。最後までお読みくださり、本当にありがとうございます。