子供との会話から

家の子供は、お友達やその親御さんに「家はお寺。お父さんはお坊さん」と良く言うらしいのです。

私は、あまりそういうことは言わない方がいいよと指摘します。

すると、当然、どうして??という質問が来るわけです。

私は正直に考えていることを言います。次のようにです。
「神様や仏様を信じない人もいるんだよ。だって目に見えないからね。それにお願いしたからって、絶対に助けてくれるわけでもないからね。だからお寺やお坊さんを嫌いって思う人もたくさんいるんだよ。お前がお寺の子だと知ったらこういう人たちはお前のことをどう思うだろうね」と。

こどもは、フーンといった感じでした。

皆様の中にも、お寺や坊主にたいして、不信感を持っている方がいるのではないでしょうか。

でもなんで不信感を持ったのでしょう。葬式仏教に対する見解からでしょうか。坊主そのものに対する失望感からでしょうか。理由は人それぞれ、いろいろあることでしょう。

ただ、仏様や神様はいないし、何もしてくれないという考えは、あっているようで間違っていると考えます。

確かに人間世界にいた仏様は遠い昔(イエスキリストより前)に亡くなって、この世にはいません。だからいないというのは正しいとも言えます。

では何もしてくれないのか?というとそうではないと思います。遠い昔に亡くなっている仏様が、私たちのために生き返ってきて何かをしてくれるということはないです。このような奇跡はほぼ起こりません。不可能だと思っておいた方がいいと思います。

でも仏様の教えが経典として残されています。その中に仏様の素晴らしさが説かれています。私は、この経典から仏様のことを学び、素晴らしさを感じ取り、憧れ、少しでも近づきたいと思えるようになりたいのです。このようになれれば、仏様はたしかに私たちに働きかけてくださります。私たちのあこがれの存在、目標とすべき人物として、私たちの目の前に現れます。

困った、苦しいと仏様にお祈りする方はたくさんいらっしゃいます。当教会にもこういう方からよくご連絡をいただきます。人情としてよくわかります。仏様の偉大な力?で解決をと思うのも痛いほどわかります。

でもそれはほとんどの場合、叶わないのです。奇跡の力を実感することも目で見ることもできないのですから。

仏様の偉大な力を頼るのではダメなのです。仏様を自分の目標とし、少しでも近づいていく。こういう努力のもと、いろいろな良い変化を求めていくべきなのです。

お寺は、経典を学び、仏様の素晴らしさを実感する場所。そして少しでも仏様に近づこうとご修行する場所。本当はこういう場所なのでしょう。

こういう場所として、理解が得られれば、お寺や坊主も少しは見方を変えていただけるのかなと思うのです。まだまだですが、少しでも近づけるようにこれからも運営していくつもりです。

子供の話から、思ったことを少し書いてみました。最後までお読みくださり、ほんとうにありがとうございました。