お寺に何ができるのだろう…

このような記事を見つけました。ぜひ皆様にも読んでいただきたいと思い、以下にリンクをはりました。

末期がんになって気づいたことがある 「余命1カ月」の男性が、世を去る4日前に遺した言葉

読んでいただければ、もうそれだけでいいです。私が何かを言うのはおこがましい。ただ読んでいただきたい。こう願うのです。

当教会にもご家族が重い病に侵されて、いてもたってもいられなくなりご参拝にお越しになる方がいます。苦しい胸の内をお話しくださり、何でもいいから奇跡を起こしてくれと懇願されることがあります。

こんな時、決まって言うのは「生きている内はまだどうなるか本当のところは分からない。奇跡だって起こらないとは言えない。だからお医者様の治療を信じ、仏様を信じていきましょう」ということ。

・・・「治らないがんもある」との言葉。

ずっしりと重く受け止めました。今まで私は、励ましの言葉と神仏への信心を勧め、気持ちだけは折れないようにとやってきましたが、・・・、・・・。

40半ばも過ぎたというのに…、まだまだまだまだ、半人前以下なんだと思うのです。それでもこのやり方で、つづけていくのですが…。

昔修行中のお寺の住職に移動中の車の中でボソッと「お経なんて何かあったらすぐ忘れる。忘れないのはお題目とそれを唱える心だけ。坊主はこっちを磨かなければいけない」と言われたのを覚えています。誰に言ったのかわからないくらい、本当に独り言のように。自分なりにこの唱える心とは、相談などされた時、相手の苦しみに沿い、一緒になって右往左往することなのかなと思っています。

とても考えさせられる記事でした。

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。