仏教でいうところの「人生は苦である」ということについて

ある心理学の本を読んでいたところ、仏教がこの世(人生)を苦ととらえているのは人間の精神的な未熟さからだと指摘していたのです。未熟であるがゆえに他に依存しやってもらい、完全なる目的をとげられないことが苦の実態なのだと。つまり人を頼りやってもらおうとすると、自分でやるわけではないから自分の思い描いた通りにはならない。これが苦しみなのだと言っているのだと理解しました。

でもこれは違いますね。仏教はこういうことを指して人生を苦といったのではないのです。苦というのは、この世の在り方なのです。どうすることもできない、いわば真理としての苦なのです。

どういうことか?

苦という漢字は「くさかんむり」に「古」と書きます。青々とした草木が時間の経過とともに必然的に枯れていく様を表しています。これはどうしようもないことではないでしょうか?

この世の存在は、生まれたからには必ず死を迎えます。時間が経過することでこの死というゴールに少しずつ近づいています。誰でもここからは逃れられません。このように時間の経過とともに必然的に変化していく様を「苦」と仏教はとらえたのです。

このような苦から私たちは逃げることが出来ません。この中で生きていく以外にありません。

だったらどうするのか?

この苦を受け入れるしかありません…。受け入れて、その上で今生きているというこの状態をどうするかを考えるしかありません。考えて考えて自分なりの答えを得たところに精神の安寧が訪れるものと考えています。ようするに時間の経過とともに必然的にやってくる変化という苦を受け入れ、この苦の中にいつつ、精神を安寧にしていくということです。これが救いとなるのでしょう。

仏教でいうところの苦は、この世の真理・あり方です。だれもここから逃れられません。精神的な未熟が起こすものではないのです。精神的に成熟した立派な人でも苦という真理を生きざる得ないのです。…悲しい事実ですが…。

「この世(人生)は苦」という真理をまず認める。そしてその中で生きながら精神的な安寧をえていく行為。これが信仰だと思っています。

真理として説かれている仏教の「苦」。これを知っていただけたらと願っています。

最後までお読みくださり、ほんとうにありがとうございました。