誕生を喜び、死を悲しむのが私たち人間です

宗教では、死後の世界に天国・浄土、地獄があると説きます。

なぜこのように説くのかと考えてみると、私たちが生きているこの世界の日常を見れば、この世界が良い世界とは言えないなと思ってしまいますから。だから死後の世界に、この世界より良い世界を思い描いたのではないでしょうか。

でもこれって結局、曖昧です!だって死んだ後のことは誰も分からないから。良い世界があるかどうかもわからない。

今の自分の状況を解釈して、どうにか納得するためには有用かもしれませんが…。例えば、今すごく苦しい状況にある人には、仏様を信じて御名を念ずれば浄土に連れて行ってくれるという物語は一種の救いでしょう。苦しい状況を受け入れるために有用でしょう。…本当にそうなるかは別として、信じきれれば精神的な救いを得られるでしょう。

ここで考えたいのです。私たち人間は、誕生を喜び、死を悲しむということを。なぜ生まれてきたことを喜ぶのでしょう?なぜ死を悲しむのでしょう?

これも一つの物語ですが、私はこの世が本当は良い世界だからと考えたいのです。日々、いろいろな悲劇が起こっている世界ですが、本来は良い世界なのだと。

本来良い世界だからこそ、誕生が歓びとなり、死が悲しみになるではないかと思うのです。

お釈迦様は死後のことを説かなかったと言います。日蓮大聖人は、この私たちの世界を久遠本佛が常住する永遠の浄土だとおっしゃっています。イエス・キリストも人類の原罪を一身に引き受けて贖罪のための死を経て復活したのです。

私には、多くの宗教がこの世こそ本当の良い世界だといっているような気がしてなりません。

ただ良い世界ではありますが、ひどく汚れている。散らかっている。このような感じでしょうか?

宗教の「宗」という漢字は、根源・土台といった意味です。私たちが生きていくうえで、生きているこの世界はどんなところなのか?また私たちはどういう存在なのか?これらを教えるのが宗教なのでしょう。

この世は本当は素晴らしい世界であり、私たちはこの世界に生まれた果報めでたい存在である。これが当教会が信奉する法華経・お題目信仰が説いている宗だと考えています。

この宗を信じ、ではどうするのか?どう生きるのか?これは私たち一人一人の課題となるのでしょう。一つの宗を信じた仲間だからといって、みんなが前へ倣えして同じような生き方をするようでは宗教は悪しき働きをすることになってしまいますから。宗教はあくまで、土台をはっきりさせるためにあるのだと私は考えています。

良い世界に生まれた果報めでたい存在である私たちなら…。自分の立場・環境でやれることはたくさんあることでしょう。なにも英雄を目指す必要はないのですから。

ちょっと思ったことを書いてみました。最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。