伝道の邪魔をした提婆達多に成仏を確約したお釈迦様

法華経には、提婆達多品というお経があります。提婆達多(ダイバダッタ)というのは人の名前です。お釈迦様の一族に連なる方とのことです。

この提婆達多、お釈迦様が悟りを開き、伝道活動に入るといろいろ邪魔をしたとのこと。お釈迦様を中心とする仏教集団の分裂を図ってみたり、あらぬ噂を流してお釈迦様のことを貶めてみたり、あげくにはお釈迦様を亡き者にしようとしたりなど。枚挙にいとまがありません。

提婆達多品というお経では、このような人物にもかかわらず、お釈迦様は将来成仏するであろうとおっしゃるのです。

理由として、前世で提婆達多は私(お釈迦様)の師匠であり、法華経を説いてくれたからというのです。お釈迦様は師匠の言うことを何でも聞き、掃除・洗濯、食べ物の手配、そして時には師匠が座る椅子の代わりさえしたと書かれています。このような大変な修行(給仕)をして法華経を学んだからこそ、私(お釈迦様)は仏になれたのだと。

凡夫である私は、いつもこのお経を読むと疑問に思うのです。どうして前世のことが提婆達多の成仏とつながるのか?と。だってお釈迦様に対していろいろ邪魔を働いていることが悪いことではないのかと?。

まるで今行った悪事を、以前にやった善行で帳消しにしているようなもの。こんなことあるのだろうかと思ったのです。

でもここが凡夫と仏様との違いなのでしょうね…。理由はどうあれ、仏様は他人を許す心の広さを身に付けているということなのでしょう。

お経にも、提婆達多が仏になることを理解しろとは書かれていないのです。ただ提婆達多が成仏するということを信じろと書かれているのです。理解ではなく信じろ!と。

法華経はどんな人でも成仏すると教え説くです。そしてこの教えはとても難しく、凡夫が理解するのも信じるのも不可能に近いほど難しいと「難信難解」を標榜します。

それでもここ(誰でもどんな人でも成仏すること)を強く信じる人。こういう人のみ法華経の功徳が得られるのだと説くのです。凡夫からの脱却が出来ると説くのです。つまり仏様のような広い心を手に入れ、安心立命してこの世を生き抜けるようになるとするのです。

つまり…、提婆達多の成仏についつい疑問・違和感を持ってしまう私はまだまだ信心が足りないということになるのでしょう。いつの日か何も疑問を持たず信じきることが出来る日がくればいいなと思うばかりです。そのためには、より一層たゆまずお題目修行を続けていく必要があるのでしょうね。

今日は法華経・お題目の教えについて私なりに書いてみました。

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。