弔いは必ず自分の安心に

「さまよう遺骨」という親書を読みました。

現代はご遺骨のことで悩まれる方がたくさんいるようです…。死者への弔いが、様々な事情でできなくなっている人が増えているのだと、この本を読み感じたのです。

現代は超高齢化時代。親が亡くなった時、施主になる自分が年金暮らしということも多々ある時代です。これからはもっとこのようになっていくのでしょうし…。

日本という国自体、高度経済成長は終焉して久しく、人々の生活も楽ではありません。

いろいろな社会的な背景から、死者への弔いへ使うお金・労力が小さくなるのは仕方がないのかもしれません。

仕方がないのかもしれませんが、弔いはやっぱり大切だと考えます。きっちり行ってほしいと願うものです。

話は違いますが、子供たちの心を安定させるには、自分たちの家のルーツ、子供たちが知らないご先祖様の人物像や行ったことなどを教えてあげるといいと聞いた覚えがあります。

子供たちはご先祖様の話を知り、自分が家という大きな生命の中にいるのだと思える安心感を得るのだそうです。

自分という存在を花にたとえるならば、地面の下に無数に伸びる根っこを知って、自分にはこんなにもたくさんの支えがあるのだと思えるようになり、堂々と咲き誇っている状態。こんな感じでしょうか。

話を戻しますが、弔いをすれば私たち大人だって精神的な救いを得られるのです。この救いは、おそらくお金では買えないとっても大切なものです。

社会が多様化し、いろいろな価値観を尊重する時代です。弔いに関する考え方もいろいろ出てきてしかるべきでしょう。弔いの形が変化するのも当然の流れでしょう。

しかし生命は、前の生命から生まれ、後の生命につながっていくという流れは決して変わりません。この流れだけは忘れてはいけないと思うのです。私たちはこのような生命の流れの中、一時を生かされているですから。

弔いは生命の尊重です。自分を包み込む大きな生命を意識する行為です。どんなに形が変わろうが、弔いをする精神は保っていかなければいけないと思うのです。

お金をかけずに行える弔いも世の中にはあります。死者の魂を一人ぼっちにせず、大きな生命の流れの中に位置づけてあげてほしいものです。大変でもこのように行動したならば、必ず大きな功徳となりますから。パワースポット巡りよりよっぽどおすすめです。

昨日彼岸入りしました。だからでしょうか弔いについて、少し思ったことを書いてみました。最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。