生老病死こそ、この世の真理

お釈迦様はこの世は生老病死といったそうです。

生まれたからには、老いていきいずれは死を迎えます。この過程において、身体的、精神的な様々な苦しみ(病)を体験するのです。

生老病死、本当にその通りだと思います。これは誰も避けることが出来ない、いわば人生そのもの、人生の姿と言えないでしょうか。

もしご納得いただけるのならば、生老病死という人生の姿を見ないふりしてはダメでしょう。人間は後々までこの生老病死をという真理を伝えていかなければいけないでしょう。

例えば、親しい人の通夜葬儀などには小さな子供も連れていき、人々が悲しいんでいる姿を見せていく必要があると思います。折に触れ、生老病死を感じさせるようにしていく必要があると思います。もちろん大人の私たちがまずこうあるべきでしょうが。

宗教儀式もこの真理を伝える一つの場であるべきかもしれません。どういうことかというと、通夜葬儀は単なる形式ではなく、供養の場、悲しみの場として受容していくのがいいのではないかということです。

生老病死というこの世の真理から私たちは抜け出せません。生きるも死ぬもすべてこの中のことなのですから。

だったらしっかりと受け止め、幼き者にも受け止めるように働きかけていきたいものです。

そして、今生きていることの素晴らしさ、この奇跡を実感していきたいものです。

本来お寺は、生老病死を伝え、生という奇跡の瞬間を知ってもらう場なのかもしれません。こう思うのです。

思ったことを書いてみました。最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。