ボロボロの、当病平癒紙札

昨年、癌が見つかったご信者様がいます。

この方、若いころから健康には自信を持っており、医者などに通ったこともないのです。だから、自分の体にしこりを発見した時は、本当に意気消沈していたのです。

どうしようと相談されたのですが、癌の治療においては、お医者様にすべてを任せるしかありません。このように言ったのです。

少し突き放したように聞こえるかもしれませんが、そういうつもりはありません。治療は専門家であるお医者様がするものというのは間違いありませんから。お祈りやご祈祷でがんが治るなどというのは、少なくとも私の能力と考えからしたら不可能です。

だから癌の治療はお医者様のいうことをしっかりと聞いてしていきましょう。当教会は、○○さんの治療に対する不安など、心の問題をしっかりケアしますと。

そこで、当病平癒のご祈祷をし、3週間の魂入れをした当病平癒の紙札をお渡ししたのです。

そして紙札はただ飾ってお題目を唱えるのではなく、患部を摩ってください。この紙札に癌がすべて乗り換えるのだ、そして治療がうまくいくのだと信じてお題目を唱えてくださいとも言ったのです。

この方、一生懸命、紙札で患部を摩りながらお題目を唱えてくださいました。本当にボロボロになるまで!!

お札は汗シミを吸収したように黄ばんでボロボロです。経文も滲んでしまい、良く読めない箇所も多々あります。

・・・ここまでやってくださったのです。

ご本人がおっしゃるには、とにかくお題目を信じて唱えたのだと。不安で不安で仕方がなかったので、お題目を唱えること自体がありがたかったと。

なんでも手術までは、お題目を一日1時間以上もお唱えしたのだとか。

お題目を唱えることが功を奏したのでしょうか? 手術の当日は不安を感じず、絶対に治って帰ってくるという信念を持てたともおっしゃっていました。

信じるものは救われるという言葉があります。これは本当なのでしょう。

ただ勘違いしてしまうのが、頼る・依存することと信じることが一緒になってしまうこと。

頼る・依存するは、誰か自分以外の力で事態を打開しようとすること。信じるは言われたことをきっちり自分で行って事態を打開すること。両者ははっきりと違います。

神様にお祈りしたから、病気が治ったり、難関試験が受かるということはありません。お祈りをした後、きちんと治療を受けたり、しっかり勉強する必要があるわけです。目的を達成するためには、自分の行いこそ大切です。

この方は、治療をきちんと受けつつ、お題目を唱え、患部を紙札で摩り続けたのです。人任せにせず、自分でやるべきことをしたのです。

これが信じるという行為だと当教会は思っています。だからこそ癌への不安を払しょくできたのでしょう。ひょっとしたらこのような気持ちが、ご自身の体の免疫力を高めることにつながったかもしれません。このように当教会は思っています。

とにかくご自分で信じた。紙札がボロボロになるまでお題目を唱え続けた。それによって心に救いができたのでしょう。

ここまで言ったことをやってくださる方はそうそういません。お題目は毎日一遍でもいいから必ず口に出して唱えてください。これが信じるということです。このように言ってもお唱えくださる方は少ないものです。信じるのは本当に難しいのです。だから今回の件は本当に貴重な、うれしい経験でした。

妙心教会は、お題目を唱えていただくことで、仏様の導きを得ていただく場所です。導きを得て、ご自分が変わっていくことでいろいろな良き変化が起こっていくのだと考えています。

有縁の方、どうか口を酸っぱくいっているお題目を毎日口に出して唱えること。これを続けてくださいね。よろしくお願いいたします。継続は力なり、なのですから!!

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。