昨日、本佛様という記事で、この世の仏は久遠実成本師釈迦牟尼仏さま、ただお一人だと書きました。これが当教会の信仰の基盤です。この方を私たちの救い主、導き手として信仰し、安心立命を得ていくのです。
この仏さまには、昔から三つの側面、とらえ方があると仏教を学ぶと習います。
1.永遠の唯一の真理として
2.永遠の真理を修行により悟り、永遠の真理と一体化したものとして
3.悟った真理を人々に説き、救いをもたらす存在として
この三つです。
1の側面において仏さまは存在ではなく、理です。この世に一貫してある真理そのものです。意識するしないにかかわらず、ある真理なのです。これは永遠不変です。
2の側面は、修行を経て永遠の真理を悟った存在。はじめは私たちと同じ凡夫でしたが修行して悟った存在としての仏さまです。1の永遠の真理を悟って、その真理と共に永遠の命を得た仏さまです。はじめは有限でしたが、悟って永遠となった仏様です。
3の側面は、救済者、導き手として、私たちと同じように人間として生きた仏さまです。悟ったものを言葉や行動で人々に伝え、救いをもたらす仏さま。人間ですから、生まれたら死んでしまいます。有限の存在としての仏様です。
1は理です。まるで空気のようにこの世に充満しています。
2は知といえるかもしれません。この世に一貫する理を修行により知るわけですから。
3は活動です。永遠の理を悟った存在は、人々を救うという活動にでなければいけないはずです。そして活動するには、私たちと同じように人として生きなければならないでしょう。
この三つの側面を全て満たさなければ、仏様とは言えない。こうおっしゃったのが日蓮大聖人です。
そして1や2の側面は、経典に説かれている仏様なら皆備えているとおっしゃいます。しかし3の側面はお釈迦様しかないともおっしゃるのです。
この世界に現れた仏さまは、歴史的に見て、インドのお釈迦様しかいないのですから!
この世においては、お釈迦様が唯一の仏さま、本佛様である。この本佛様を信仰の対象にしよう。これが日蓮大聖人のおっしゃったことだと理解しています。
思うに、阿弥陀様は阿弥陀様の世界(極楽浄土)においては本佛様として現れているのでしょうね。残念なのは、私たちの世界ではないということです。