仏教が永続するための体制というのでしょうか?これを仏法僧と理解しています。
佛は、いわずとしれた仏様。悟った人であり、私たち凡夫を導く導師です。この世ではお釈迦様ただ一人その人である。これが当教会の信仰です。
法は、この世の真理。この法を悟って凡夫は仏になるのです。法は私たちが知っていようがいまいが関係なく、不変のものです。当教会では妙法蓮華経という法がこれだとします。この法を信じますと修行をすると、南無妙法蓮華経というお題目になるわけです。
僧は、私のようなものを言うものと思いがちですが、本来は信仰を同じくする集団を表すものです。当教会では、仏さまは久遠実成本師釈迦牟尼仏、法は妙法蓮華経と信仰を一つにする当教会有縁の方々がこれにあたるでしょう。
ここでは法について少し書きます。
当教会では、法は妙法蓮華経です。妙法蓮華経の中にある「法」とはこの世のありとあらゆる存在という意味です。そして「妙」は不思議・分からないという意味。
この世のありとあらゆる存在(法)の本当のことなど、私たち(人間・凡夫)には分からない(妙)だというのです。本来こういうものなのに、いいだ、悪いだと勝手な判断をしてしまうのが私たちのようです。
まずこの世の本当のことは分からないと達観する(諦める)ことが必要だとします。これが妙法の部分。
こう達観したら、蓮華のように生きようといいます。蓮華はドロドロした沼のようなところでこそ美しく咲く花です。ドロドロした沼のような場所とは妙法としてのこの世のことです。良いも悪いも、汚いも奇麗も、ありとあらゆる対極にあるものが一つこの世という場所にごちゃまぜとなって存在しているのです。この世は分からないという妙法の教えそのままです。このような場所で蓮華のようなきれいな花を咲かせていこうというのです。この蓮華は私たち一人一人の人生のことです。どれも色や形が違う蓮華です。
この世は妙法と達観し、その中で蓮華のような美しい花を咲かせ、この世をより美しいものにするために生きよう!仏様は、お前たち一人一人が蓮華の花を咲かせ、妙法であるこの世をより良いものにしていくのが大切だと妙法蓮華経で示したのです。
これを完ぺきにできる存在が仏。
そしてこの目標に少しでも近づいていこうと協力し合う集団が僧ということになるでしょう。
当教会もこのような役目を果たせるように、すこしでも精進していきたいと思っています。
一緒にお題目を唱えて下さる方が増えることを願っています。