例えば、子供に勉強しなさいと言ってみます。
…まあ、大概はやりません。
自分も子供だったことがあるからわかります。
子供は、遊びが好き
そして
勉強は嫌い
こういうものです。
だから言ったところでやりません。
しかし、
試験期間だったり、
受験を控えていると、
自分からやります。
言わなくても自分からやるのです。
必要を感じるからなのでしょうね…。
自分の子供のころに照らしても、よくわかります。
人が何かをやるのは、自分に必要と思うかどうか。
これが肝のようです。
宗教・信仰が下火になっている現代社会で、これを勧めるのも一緒なのでしょう。
方法は、いろいろあるのでしょう。
商売繁盛のご祈祷から、
悪例を祓う
などといったものまで、さまざまに。
当教会では、この世の本当の、本来の姿を法華経・お題目の教えで示し、この世もまんざらではないと思ってもらえたらと願っています。
この世もまんざらではない
こう思えれば、もう少し頑張ろうとなると思うのです。
もう少し頑張ろうと思えるようになるために
宗教・信仰を活用してほしいと、
こう思うのです。
宗教・信仰は心の問題。実生活に直接働きかけるものではありません。
でも自分の心で、世の中をどう見るか?
これはその人の生き方にかかわってくると思っています。
良いと思えれば、辛くても頑張ろうとなっていくでしょうし、
悪く思えば、楽しいこともそんなはずはと疑心暗鬼となるでしょう。
心の持ち方は大切。
それも良く持つことが大切。
この良く持つために、少しは宗教・信仰が役立つのかな、と
最近、ようやく、ほんの少し思えるようになりました(苦笑)
…本当に、ほんの少し、ですが(苦笑)