大黒様の背負い袋には

一体、何が入っているのでしょう?

…具体的にこれが入っていると記述されているものを見たことがないので、

わかりません。

でも大黒様は、

この背負い袋をとても大切にされていて、

片時もはなしません。

きっと大黒様にだけは分かる大切なものが入っているのでしょう!

さて、

本佛・お釈迦様の悟りも

私のような凡夫には

トンと分かりません。

分からないけれど、

信じていくと

心の拠り所となって

安心を得ていくのです。

このような過程も

本佛・お釈迦様には、

(私のようなものには分からないけれど…)

すべてお見通しなのでしょう。

大黒様の背負い袋の中身、

本佛・お釈迦様のお悟りの内容、

これらは、私のようなものにはとんと分からないけれど、

ご本人たちにはしっかり分かっているのです。

これを妙と表現しています。

妙法蓮華経の妙です。

中国の天台大師という方は、

妙とは不可思議なり

と言いました。

妙の具体的な中身は偉大な人にしか分からないのだというのです。

大黒様や本佛・お釈迦様といった偉大な方は、

皆、妙を持っているのです。

この妙を

うまく使って、

私のようなものを

より良い方向へと

お導き下さるのです。

このように考えるのが、信仰だと考えています。

強調しておきたいのは、信仰は心の問題。

ああやれ、こうやれ、

あれは駄目、これはだめ

と信者の生活を縛るものではないと考えます。

信じることで、

導かれているという

何とも言えない安心感を得て、

大変なことも起こるであろう私たちの実生活を

真っ当に

腐らずに

送っていけるようにと

精神的にサポートするもの。

このように思うのです。

当教会の信仰では、

お題目を唱えることが

このサポートを受けるために

不可欠なものとなります。

毎日の精神的なサポートを得るために、

お題目を唱えていただきたいと願うものです。

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