思い通りには…、苦しい、辛い…

たくさんの人々が一緒に生きているこの世。

タイトルの通りに思うことは、多々あります。

宗教では、こう思う多くの人の心を

未来に希望を持たせ、

安心させるため、

天国・浄土への生まれ変わりという

救済を説きます。

誰も行って帰ってきたことがないのですから、

本当にあるかどうかは、わかりません。

ただあると思うことで、

ある教えを信じ続けることで、

死後素晴らしいところに生まれ変われるのだ。

もうこのような苦しい人生を歩まなくてもいいのだと

希望を持てるのです。

確かにこの世には、タイトルのような生きづらさがあります。

死後の救済を求める気持ちも大いに理解できます。

ただそれでも今生きているのは現実であり、

死後の素晴らしい世界は、あるかどうか分からないものだと

私は思ってしまいます。

この世に生きづらい面があるのは確かです。

多くの人が一緒に生きていますから。

他人がなんだか自分よりうまくやっているように思うこともあります。

そして自分ばかり損をしていると思ってしまうことも。

この世にはいろいろな立場の人がいるので、

このように思うのも自然なことなのでしょう。

私たちが体験しているこの世での人生は、

なんとも、なんともという部分があるのです。

でもこの世で体験することは、悪いことばかりではないのです。

良いこと、うれしいこと、楽しいこと。

こういうことも体験するのです。

こういう体験があるからこそ、

逆な感情も芽生えるのです。

苦楽がともにある。

これがこの世でしょう。

お題目の教えでは、

この世は本佛・お釈迦様が常住する

永遠の浄土とします。

そして

私たちは、この浄土に

生まれ変わり、死にかわりする

本佛・お釈迦様の弟子だというのです。

弟子として、

本佛・お釈迦様の説いた真理を

この世に体現する任務をもっているのだと。

どう体現していくかというと、

小欲知足(しょうよくちそく)

と説いています。

必要なものを必要な量だけ得ることで足りると生活していく。

誰もがこのようになり、

余分な量を

まだ必要量を得ていない人に分けていく。

分けてもらったものは、感謝する。

また余分が出たら、他の足りていない人に分けていく。

こういう小欲知足の循環ができたならば、

この世は、永遠の浄土としての本来の姿に立ち返ると説かれています。

生まれ変わり、死にかわりしつつ、この世を天国・浄土にしていこう!

これがお題目信仰なのだと、私は理解しています。

欲望というものは、発展の原動力となるものですが、

行き過ぎた欲望は、大変な問題を起こすこともあるのでしょう。

この欲をどうにかしていく。

これがキーポイントなのかもしれませんね。

…なかなかできませんが…(苦笑)

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