○○までに後悔すること25という本を

知りました。

中身をぱらぱらと読んだのです。

ここに

神仏の教えを知らなかったこと

生死の問題を乗り越えられなかったこと

とありました。

宗教って不思議です。

どんな時代にも

どんな文明であっても

宗教は存在しているのですから。

古今東西、

どこにでも、

いつでも

あるのです。

即物的なものではないに…。

ご飯を食べたら、腹が膨れるといったものではないのに…。

なんででしょう?

きっと

信じるものを持つ

という精神的営みというのでしょうか?

こういう営みが

この世を生きる私たちには絶対必要なのでしょう。

だから宗教がある。

宗教的存在が示される。

たとえ、

空気のようなものだとしても、

否、

空気のようなものととらえたからこそ、

信じられたのでしょう。

こう思うのです。

心の中で、信じるものとして存在する。

これが宗教的存在の価値。

この存在が説く教えだからこそ、

生死の問題をも解決してくれるのです。

だって本当は分からないことなのですから…。

曖昧ですが、この曖昧さが救いとなる。

だから雁字搦めに縛られた信仰をするのではなく、

心に程よい余裕を生むために信仰を活用したいものです。

そうすれば、

仏神の教えを知ったことになり、

生死の問題も安心できるようになるのだと思うのです。

私個人の考えではありますが…。

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