二つの面があると考えます。
一つは、没個性となり、社会なり時代なりを構成するために生きている面。
二つ目は、これが自分だと個性を生かして生きている面。
前者は、例えるならば、大海の中の一滴みたいなもの。いくら自分を一滴だといっても大海の中では区別がつきません。一つの大海となって没個性で生きています。
後者は、蓮華の花のよう。泥沼に根を張りつつ、地表に出て、蓮華という個性となり、美しく咲いています。
後者の生き方は、前者に根差してはじめて可能です。社会で様々なことを教わり、経験し、個性的に、自分らしく生きられるのですから。
つまり
私たちは、他者をより良く活かすように生きる面
と
他者に活かされて、個性をより良く開花させて生きる面
があるのでしょう。
持ちつ持たれつ、というものです。
この二つの生き方が、同じものとして同時にできることが理想です。
こうなれば、仏様と一緒。
他者を手助けすることが、そのまま自分の個性を良くしていくことになる。
自分が個性的に生きることで、他者を手助けできる。
こんな生き方です。
・・・とても難しいですが…、
出来るところから、無理せず、目指してみたいものです。
…本当に難しいでしょうが…。