最近では、

移動葬儀車なるものも登場しているようです。

人々の価値観の違いを認めるようになった現代。

必然的に弔いも多様化し、

このようなものも現れたのでしょう。

ドライブスルーでお焼香できる葬儀場というものもあるそうです。

故人を弔う方法が、本当に様々になったということ。

いいのか?悪いのか?わかりません。おそらく、どちらかに評価するものではないと思っています。

ただはっきりしていることは、

時代の流れ

ということでしょう。

また

宗教を介さないという弔いも増えました。

戒名・墓など必要ないという方もいらっしゃいます。

このような価値観の方には、それでいいのかもしれません。

ただ私は宗教・信仰を介して弔いをしていただきたいと願っています。

そのわけは…、

人は、良いことも悪いことも行いながら、生涯を送ります。

聖人でも、絶対の悪人でもないのが普通の人間です。

生涯を終えるその時、

人生を振り返るならば、

良いことばかりでなく、

ああしておけばよかった、

なぜあの人にあんなことをして傷つけてしまったのだろう

など、

後悔のような感情も起こることでしょう。

人には言えない記憶が浮かび上がってくることもあるでしょう。

誰でもこうなると思うのです。だって生きている自分だって、過去のことを思うと後悔やら懺悔したくなることやらたくさんあるのですから。

こういう負の部分が自分の人生にもあると認めるならば、

どうにかこれらを清算したいと思うものです。

でも死んでしまっては何もできません。

そこで、宗教を介しての弔いなのです。

通夜・葬儀を通して、

故人の霊魂は

仏様の弟子として、出家するのです。

出家して、仏様と同じような悟りをえようと修行するとするのです。

この修業を通して、

生前の負の部分を清算するものと考えてしまいます。

こう考えられると、

死後でも自分の人生の負の部分を精算できるのだと思うことができます。

これが一つの救いになるのだと思っています。どうか救いになるのだと活用していただきたいと思っています。

弔いの流れは、通夜・葬儀です。

これは

すでに出家している坊主から、

仏様に故人の人柄を紹介してもらい(引導)

仏弟子としての名前を名付けられ(戒名授与)

正式に仏様の弟子に連なるのです。

そして仏に成るための道を歩みつつ、生前の清算をしていく。死後にこういう救いがあるのだと思いたいものです。

気持ちの上でもやり直せる、懺悔できる方法が残されているのは、大きな救いとなると思うのです。

ここに宗教を介しての弔いの意義があると当教会は考えています。

ご参考くだされば幸いです。

本当は、生前に信頼できる坊主に出会っておき、その坊主に葬儀の導師をしてもらうのが、一番納得できる弔いとなるでしょうね。このような坊主に成れたらと思うのですが…、まだまだまだまだ・・・・と・・・

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