助けてくれる人は誰もいない自分一人だと思ったら

大富豪の子供だった。

こういうたとえ話が法華経にあります。

縁もこねもないので、暮らしはその日暮らし。より沢山、日銭が稼げればいいと、方々を転々とする日々。

この人が大富豪がいる街にやってきます。見るからに大富豪。自分とは格が違う。ここにいたら、もう奴隷みたいに使われるだけ。ここにはいない方がいい。

こう思って、この街を後にします。

しかし大富豪。遠くからこの人をみて、一目で自分の子供だと分かっちゃいます。部下に指示して、この人を連れてこさせるのです。

ここは危ないと思って、街を後にしたのです。まさか追いかけられるとは!!!発狂して気を失ってしまうのです。

これを見て、大富豪。これは話しても信じないなと解放します。

そしてこの人と同じようにその日暮らしをしている人を雇って、解放した男をトイレ掃除などの仕事を一緒にしようと誘ってくれと頼むのです。

今度は自分に近い感じの人。安心して、一緒に仕事を始めます。

仕事を始めたら、この人、能力は十分です。それも一生懸命真面目に仕事をします。

大富豪も心底気に入り、家の事全般を任せるようになります。

こうして、この人が自分を疎んじることなくなったところで、大富豪は「自分はお前の本当の親なのだ」と打ち明けます。そして財産を全て引き継いだのです。

自分を省みて、自分はすごいと思う方は少数でしょう。どちらかというと、自分なんてと思うことが多いのではないでしょうか?

この状態が、その日暮らしをしているこの人と似ています。こんな状態で、お前はすごいよ。といわれてもなんだか馬鹿にされたようにしか思わないでしょう。私たちは経験を積んでいくことで、じょじょに自信をつけていくのですから。

だから良き指導者(仏)は、ごく小さな、些細なことから経験を積まそうとします。これらに真面目に取り組むことで、自分が成長し、自信もついてきます。

経験に裏付けられた自信がついたならば、人からの好意的な言葉・申し出も素直に聞けるというもの。

信仰も同じなのです。いきなり、あなたは私(本佛様)の子供だ。だから私と同じ能力がある。私と同じ働きができる。こういわれても・・・、となります。

だから日々のご信仰があるのです。これらのことを毎日休まず行うことで、自分が仏様になれることも信じることができ、心が救われ、仏様にもなれるのです。

はじめはだれでも無信心でしょう。ここから日々のご信仰を続けることで、じょじょに信仰を得て、仏様の教えが本当に尊いと思えるようになっていくのでしょう。

無理せず、できる範囲で、信仰を継続していきましょう。仏に自分がなれるのだと信じることができるようになることを目指して。

1
0