葬儀などの宗教儀式。
様々なやり方が、提案され、認知されるようになりました。
家族・親族など極親しいものだけで行う家族葬。
宗教を介さない無宗教葬(お別れ会)。
通夜をやらない一日葬。
通夜葬儀をやらないで火葬だけというものまで。
お墓なども
永代墓から、
共同墓、
納骨堂、
樹木葬、
散骨などなど、
実にラインナップは豊富です。
いろいろ選べるのは良いことなのでしょう。
ただ葬儀もお墓も、
死
という問題を扱っているものです。
人は誕生すれば、必ずその時を迎えます。
誕生が奇跡ならば、
その奇跡の時間が終わる死は必然。
奇跡の時間が終わり、
やってくる必然の時をどうとらえるか。
法華経・お題目の教えでは、
ご本佛が示されたこの世の真実の姿に立ち返るまで、
私たちは幾度も幾度もこの世に生まれ変わり、死にかわりする
と考えます。
そして今の人生の行いが次の生の環境を決めていくともします。
このような教えにおいて、今生での死というのは、幾度と繰り返される人生の一つの区切り。
この区切りにおいて、ご本佛に今生の人生を報告(これが引導)し、戒名を名付け、次の生の準備に入る儀式。これが葬儀です。こうしてご本佛のそばに一度詣で、ご本佛に評価をもらい、次の生を始める。
私はこう思っています。
教えを介して、死という必然に向き合っていく。そして安心を得る。
こういう考えもありなのではないかと思うのです。