理想と現実

誰もがこの狭間で揺れ動き、悩まされることでしょう。

こういう自分になりたいのに、現実は…。

こんな自分だから、なれるわけない…。

誰でも理想を持ち、

現実をわきまえているからこそ、

悩み苦しむのでしょう。

でも生きている限り、理想を持たないという選択はないでしょう。

現実だけを見て、その場その場で対処するというのも難しいでしょう。

法華経・お題目の教えは、

華果同時(けかどうじ)

因果一如(いんがいちにょ)

の教えです。

ご本佛の弟子として、

この世をご本佛の目指す姿に戻す使命をもって生まれてきた私たち。

こう私という存在を定義するのです。

…定義は分かっても、その通りに行動できないのが凡夫の凡夫たるゆえんなのでしょうが…。

まあ、とにかくこのように定義するのです。

この定義に従って、無理せず、できる範囲で

ご本佛の理想とする世界に適う生き方をしようとするのです。出来る出来ないは別として、このように生きたいと思って!

このように生きるならば、その人の生きている場所はご本佛の理想の世界です。つまり結果が出ています。

そしてこの生き方は原因ともなっています。ご本佛の理想を実現しようとする行為となりえるからです。

行動の中に原因と結果が一緒になっているといえます。

世界中の人がごみを散らかしまくっているとします。こんな中、ゴミ拾いしたところで大した効果は実際にはないでしょう。でもこのゴミ拾いをした人はそれでもゴミ拾いを行います。きっとゴミを多くの人が散らかしまくっているという現実を知りつつ、それでも何とか奇麗な世界にしようと自分のできることをしているのでしょう。この人の行為はこの人の中で奇麗な世界に近づいているもの、否、小さな奇麗な世界が実現しているものと言えるのではないかと思うのです。

世界をこの人の世界と切り取ってしまっているようですが、まずはこれでいいのではないかと思うのです。そしてこのような方をまねる方々が少しずつ少しずつ増えていけばいいのだと思うのです。

私たちはそれぞれ自分の生活があるのです。その生活の中で、出来ることをしていく。法華経・お題目の教えの信者ならば、その出来る事とは、自分の生活をしつつご本佛の理想を実現しようとすることとなります。それも無理せず、自分のできる範囲でしていくことになります。そしてのちの世代にも繋げていく。

このつながりが、今この瞬間瞬間に、ご本佛の理想を体現していくことになるのだと思うのです。

理想は遠いと思わず、ご本佛の理想を体現するために生きている自分と定義し、出来る範囲で行動することで、今・ここに理想の世界が体現されているというのです。

永遠の存在であるご本佛を信じる功徳だと私は考えています。有縁の方々、ご参考にして信仰増進に努めていただければと願っています。

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