一般に悪いイメージがあるのではないでしょうか?
辞書を引いてみると、
物事が確かでない。あやふや。不明瞭
と、良くない意味が多いようです。
でも、どうなのでしょう?
良い悪いという評価は別にして、
この世には曖昧なものしかない
…こう思ったりしています。
だから曖昧を受け入れる。
自分も他人も、この世のすべてが曖昧なのだと。
こうできれば、あれは駄目、これは良いなどと評価を急ぐことが少しはなくなるでしょう。
皆が曖昧なのだと、共通点を見出し、手を取り合えるようになるかもしれません。何かしらの共通点があることが仲良くなるには必要でしょうから。
世の中を見れば、力のある者はどうしても争うものです。そして自分に屈服させたがるものです。この世で力があるというのは、こうできることなのですから。
このような権力者は、曖昧を許しません。自分か相手か、つまり味方か敵かをはっきりさせておきたいでしょうから。
曖昧というのは、悪いことだけではないと思うのです。生きていれば、そのものは何かしら変化し続けるものです。5年後、10年後、どうなっているかなど分かりません。つまり曖昧なのです。
すぐに評価を出すのではなく、この世は曖昧にできているのだと、ゆったりとした心持ちを涵養していきたいものです。
争うのではなく、協調するために。
敵を作るのではなく、仲間を作るために。
曖昧は、法華経の妙の教えに通じると思っています。有縁の方々、今こそ法華経を学んでいきましょう!