母が亡くなって、早2年です。とはいっても、感傷に浸ってばかりいられません。向こうは死者で、こちらは生者ですから。
三回忌も済ませました。古くなった教会建物の耐震リフォームもなんとか行うことができました。少しずつ、少しずつ、本当にアリやノミの歩みのようにほんの少しですが、進んでいます。
母は、亡くなった時、戒名という仏様の弟子になった証の名前を授けられました。○○院○○日〇[信士・信女・居士・大姉]といった形式です。
○○院は、その霊位がどうしたら成仏(心穏やか)している状態といえるかといった観点からつけます。例えば、この霊位が親ととても仲が良かったとしたら、親ともう一度会えたならば、うれしいでしょう。だからもう一度会えるという意味の経文などをあてはめます。
次の○○は、その霊位の生前の生き方を顕すようにつけます。性格が厳格で生真面目というのならば、この性格を表すようにつけていきます。
次の日〇は、当教会は日蓮大聖人の教えを信奉していますので、この方の流れを汲んで、仏様のお弟子となったことをあらわすものです。〇には生前のお名前の一字をつけています。
最後の信士などは、信仰の度合いでつけるもの。お寺の運営に協力したというのも信仰心が強いからこそでしょう。議論のある所でしょう。当教会では、お布施の額等にはかかわらず、基本は信士・信女をつけ、毎日お題目修行をしていたことが分かっているなどの篤信の方にのみ居士・大姉をつけるようにしています。
亡き母は、大姉。先代上人が遷化してより、毎日欠かさず、お題目修行をしていましたから。
この戒名を読み上げ、私も毎日仏壇で供養をしています。この供養、いつまで続ければいいのでしょう。遺族が霊位との思い出をしっかりと清算できたとき終わるのだと思っています。だから短い人もいれば、長い人もいることでしょう。
そして思い出の清算ができた時、霊位の仏道修行が成就して、仏様になるのだと考えています。この時、戒名を返し、○○家先祖代々の霊という一柱に融合されるのだと。
この一柱は、遺族にとって最も身近な仏様。仏像で表現された仏様より、自分の先祖霊に恩を感じる方が自然です。だから生きているものは、この先祖霊という仏様に報恩するように生きていく。
そして死んだら、遺族に供養され、先祖霊に融合して、子孫を見守っていく。この繰り返し。
こうして誰もが最後は仏様となっていく。
母との思い出は、いろいろとあります。良いこと、悪いこと、本当にたくさん。毎日供養して、それらを思い出し、清算していく。感情的な引っ掛かりをなくして、本当の思い出にしていく。この作業が供養だと考えています。
亡くなって早二年。二人で一緒にいた時間が長いだけに、まだまだ供養を続けていく必要があるなと思っています。
有縁の方々、ご参考にしていただければ幸いです。