法華経は28の章(品)で成り立っている経典です。
法華経は全体を二つに分けることができるといいます。分けたところで一つの法華経にかわりないのですが、両者の教えには教えの内容の深さに差がでます。
一般に15番目の章・従地涌出品(じゅうちゆじゅっぽん)の半分までを「迹門(しゃくもん)」、それ以降を「本門(ほんもん)」と習い伝えられてきたのです。
そして迹門は、誰もが成仏(仏様になること)ができるとする二乗作佛(にじょうさぶつ)の教えが説かれ、
本門では、私たちの導き手であるお釈迦様(仏様)はこの世に永遠不滅で存在し続けると説く久遠実成(くおんじつじょう)が説かれています。
久遠実成が説かれることで、人間お釈迦様は、本来の姿である久遠実成本師釈迦牟尼仏(くおんじつじょうほんししゃかむにぶつ)、通称、ご本佛へと真の価値を現します。ここが迹門より本門の方が教えの内容が深いとされる理由です。
なぜなら本門により久遠実成が説かれ、ご本佛様が顕現することで、迹門で説かれた「誰でも仏様のようになれる」という二乗作仏の教えに「いつの時代・どこにいても」という条件が補完されるからです。
法華経に、この二つの教えが順番に説かれることで、仏教は本当に信仰すべきご本尊を私たちに示しました。ご本佛様という永遠の導き手を信じ、どんな時代(いつでも)の、様々な環境(どこでも)に生きる、誰(どんな人でも)をもが仏の教えに導かれて仏のようになれる(成仏できる)ことが成立するのです。
あくまで信じる・信じないによるのですが、法華経にはこのような救済があります。このことをご念頭頂いたうえで、法華経を読んでいただけたら、理解が進むのではと考えています。