無量義経説法品第二

概要

前の徳行品で仏様の偉大さを示しました。

そしてこの偉大な仏様にたいして、説法品では大荘厳菩薩様をはじめとした多くの菩薩様方が、一刻も早く成仏するためにはどのような教えを学び修行すればいいか?と問います。

仏の答えは無量義を修学しろというものです。これを修学するならば、この世のすべての存在は、別々に存在するものではなく(個性があるのではなく)、生まれることも無くなることもない一つのものだと観察しろといいます。この世という一つものを繋げていくために様々な存在があるとするのです。

しかし仏以外はこのような見方ができず、一つのものを別々と見、別々故に意見を異にし対立、争いが生まれるといいます。

世の中がこのような状態にあるから、仏様はそれぞれの個性に合わせて、いろいろな教えを説いて導いたのです。個性に合わせて説いた教えだから、説かれた側の理解もそれぞれ違ったものとなります。その結果、個性が得る境地もそれぞれだと。

ただこのような教えを説いたのは、人々にこの世を一つのものとしてみていく視点へ立ち返らせるためであり、仏の本心を説いたものではないといいます。この視点への回帰を目的としたさまざまな教えなのであり、説き方・内容が個性により異なって表現されているだけなのだと。たとえとして、水を挙げています。水は汚物を洗い流しますが、川・海・池など名称がちがいます。名称が違えど水の性質が汚物を洗い流すように、仏の教えも様々あるがその目的は一つだというのです。

無量義経は妙法蓮華経の導入部分。だからここまで説いて、全てを一つに融合して観ていく方法を述べません。この方法こそ妙法蓮華経が説く内容なのです。ただ仏教を一大体系に統一しようとする法華経の教えの萌芽が見て取れるのです。