立正安国論

概要

立正安国論の書かれた当時は天災・人災が多発していました。そして人々は疲弊し苦しんでいたのです。このような人々と同じ時を過ごした日蓮大聖人は、どうしてこのように人々が苦しまなければいけないのか?一体何が原因でこのような災いが起こったのか?と疑問をもったのです。

そこで僧侶らしく、仏典を読み漁り、仏教の教えの中に答えを見つけようとしました。そしてついに答えを見つけたのです。それは国が正しい教えに背き、仏教全体からしたら局部的な劣った教えを信じているから、正しい教えをもって国を守護する諸天善神、国をよくする聖人君子が力を失い、去ることになり、災いが多発しているのだというものです。

立正安国論の中で批判の対象になっているのは、浄土宗の祖である法然上人の教えです。念仏を唱え、阿弥陀様の浄土である極楽に往生することを目指す教えを批判しています。この教えは念仏を唱え往生するためには、その他の一切の教えを信じてはいけないと説きます。この中に仏教を一大体系に統一する教え・法華経も含まれているところから批判の対象になりました。

ただ立正安国論の中では法然上人の教えを批判されていますが、これはこの教えのみを批判したというわけではありません。

日蓮大聖人のお考えは、法華経という経典に説かれる教えを中心に据え、すべての仏教が統一され体系化された一大仏教として人々を善導するようにすることです。だから一つの体系化された一大仏教を求めない、仏教の教えが林立している状態での、部分的な、個々人の趣向にあった教えへの信仰を厳しく批判されたのです。

以上をご念頭頂き、お読みいただければと願っております。

書き下し文

旅客来(りょかくきた)りて嘆いて曰(いわ)く、近年より近日(きんじつ)に至るまで、天変(てんぺん)・地夭(ちよう)・飢饉・疫癘(えきれい)、遍(あまね)く天下に満ち、広く地上に迸(はびこ)る。牛馬、巷(ぎゆうば、ちまた)に斃(たお)れ、骸骨、路(がいこつ、みち)に充(み)てり。死を招くの輩(ともがら)、すでに大半に超(こ)え、これを悲しまざるの族(やから)、あえて一人(いちにん)もなし。

しかる間、或(あるい)は「利剣即是(りけんそくぜ)」の文を専(もつぱ)らにして西土教主(さいどきょうしゅ)の名を唱え、或は「衆病悉除(しゅうびょうしつじょ)」の願(がん)を恃(たの)みて東方如来(とうほうにょらい)の経を誦(じゅ)し、或は「病即消滅(びょうそくしょうめつ)、不老不死(ふろうふし)」の詞(ことば)を仰ぎて法華真実(ほっけしんじつ)の妙文(みょうもん)を崇(あが)め、或は「七難即滅(しちなんそくめつ)、七福即生(しちふくそくしよう)」の句を信じて百座百講(ひゃくざひゃっこう)の儀(ぎ)を調(ととの)え、有(あるい)は秘密真言(ひみつしんごん)の教(きょう)によりて五瓶(ごびょう)の水を灑(そそ)ぎ、有は坐禅入定(ざぜんにゅうじょう)の儀を全(まつと)うして空観(くうかん)の月を澄まし、もしくは七鬼神(しちきじん)の号(ごう)を書(しょ)して千門(せんもん)に押し、もしくは五大力(ごだいりき)の形を図して万戸(ばんこ)に懸(か)け、もしくは天神地祇(てんじんちぎ)を拝して四角四堺(しかくしかい)の祭祀(さいし)を企て、もしくは万民百姓(ばんみんひゃくしょう)を哀れみて国主国宰(こくしゅこくさい)の徳政(とくせい)を行う。

しかりといえども、ただ肝胆を摧(くだ)くのみにしていよいよ飢疫逼(きえきせま)る。乞客(こつかく)目に溢(あふ)れ死人眼(まなこ)に満てり。屍(かばね)を臥(ふ)して観(みもの)となし、尸(しかばね)を並べて橋となす。おもんみればそれ、二離璧(じりたま)を合わせ五緯珠(ごいたま)を連(つら)ぬ。三宝(さんぼう)世に在(いま)し百王(ひやくおう)いまだ窮(きわま)らざるに、この世早く衰え、その法何(なん)ぞ廃(すた)れたるや。これ何(いか)なる禍(わざわい)により、これ何(いか)なる誤りによるや。

主人曰(いわ)く、独りこの事を愁(うれ)えて胸臆(くおく)に憤悱(ふんぴ)す。客来(きた)りて共に嘆く。しばしば談話を致さん。それ出家して道に入(い)るは、法によつて仏を期(ご)するなり。しかるに今、神術も協(かな)わず、仏威(ぶつい)も験(しるし)なし。具(つぶさ)に当世(とうせい)の体(てい)を覿(み)るに、愚(おろか)にして後生(ごしょう)の疑(うたが)いを発(おこ)す。しかればすなわち、円覆(えんぷ)を仰いで恨みを呑み、方載(ほうさい)に俯(ふ)して慮(おもんばか)りを深くす。つらつら微管(びかん)を傾け、いささか経文を披(ひら)きたるに、世(よ)皆正(しょう)に背き、人悉(ことごと)く悪に帰(き)す。故に、善神(ぜんじん)は国を捨てて相去り、聖人(せいじん)は所を辞(じ)して還らず。ここをもつて、魔来(まきた)り鬼(き)来り、災起り難起る。言わずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず。