概要
大弟子たちの教えへの理解を聞いた仏様は、(お前たちの理解は)まちがっていない。そのとおりだとおっしゃいます。
そして仏の教えはただ一つであること。しかし聞く者たちの能力に合わせて、言葉を変えていたに過ぎないとおっしゃいます。
このことを有名なたとえ話、三草二木(さんそうにぼく)の例えで再度説かれます。
日照りの続く気候に雨雲が現れ、雨を降らします。雨雲から降る雨はどの雨粒も同じです。
しかし地上に生える草花・沢山の木々は自分の体の大きさにより適量の雨を求め、これを得ることで潤され、成長します。
仏様の教えは雨雲から降る雨です。だからどれも一緒なのですが、草花たちの必要とする量は違います。
そこで、どれくらいがその者の適量なのか?と考えながら教えを説いていたのが、法華経以前の教えだといいます。心に潤いがなく、自分の事ばかりを考えているものへ、そのものが満足するようにと教えを説いていた状態です。これを方便といいます。
でも潤す教えは雨雲から降る雨に例えられているものですから、たった一つです。これをいろいろ形・その表現方法を変えつつ説いていたのを、それらはたった一つの教えをその人その人に合わせて表現を変えて説いていただけだったのだと表明したところです。