恨む(祟る)と自分が辛くなるというお話

坊主をしていますと、いろいろな相談を受けます。そして人間って本当に一筋縄で行かないなと思い知らされます。

 

私が妙心教会を継いでまもなくのころ。荒行堂を成満した年の夏のお話です。

先代上人の時、ご縁をいただいていたという方がひょっこりと参拝されたのです。当時でも70を過ぎていたであろう女性です。でも、もっともっとお年を召している感じがしました。とても疲れているようでした。

お話を伺うと、娘さんが寝たきりになってしまい、話すことも動くことも出来ないとか…。DVをするほどの酷い夫と死別して、これから幸せになってほしいと願っていた矢先に、こんなことになってしまって…。どうしたら良いか分からず、妙心教会に来たとのこと。

そしてお話を更に伺うと、娘さんの夫の酷さ?は周知のことで、菩提寺に戒名を頂く時、ちょっとした工夫をしていただいたのだそうです。「門」という漢字が使われる戒名だったのですが、ここに漢数字の「一」を書き足したのです。これは門が閉じる(開かない・中に入ってこれない)という意味です。もう来るな、ずっと向こうにいろということです。

江戸時代にはこういう戒名がたくさんありました。今では差別戒名と言われたりします。今時、つけることがあるんだとびっくりしたのを覚えています。

菩提寺も娘さんの苦労を知っていたからこそつけたものなのでしょう。当教会に相談に来られたお母さんも、当の娘さんも、戒名をもらった時は本当にありがたい・これで幸せになれると喜んだのだそうです。

 

・・・しかしです。一年も経たない内に、娘さんはだんだん生気がなくなり、寝たきりになってしまったというのです。そして、これは死んだ夫の祟りではないかと。

今の私にも霊感らしきものはありません。ご相談いただいた当時の私は坊主の駆け出し。尚更、霊感などあろうはずがありません。だから霊能者のような答えは出来ません。どう答えたものかと悩みましたが、思っていることを言ったのです。

それは、、、。

まず戒名の文字を普通の「門」に戻しましょう。漢数字の「一」を失くした位牌を作るのです。そして菩提寺に相談して、供養をしてもらうのですと。

亡くなったら皆仏様…。どんな人でも仏様と、こう思うしかないのです。だって故人は私たちのような生きているものに悪さをすることなど絶対に出来ないのですから。亡くなってしまったからには、もう赤ちゃんのように無力なのですから。

つらい経験だったでしょうが、それももう過去のことと水に流せるように自分を持っていってほしいのです。故人がしたことを許せとは言いませんが、もう来るなと追い払う必要もないのです。だから嫌がらず怖がらず、供養をしてあげてください。もうお母さんや娘さんのほうが圧倒的に強いのですから。

娘さんはね、死別したご主人に祟られたのではなく、自分の心の中にあるドロドロしたものに苦しんでいるのだと思うと。

 

人間は複雑ですね。やっていけないことをしてしまう・思ってしまうことがあります。そして人知れずそれを後悔し苦しむ。こういう経験あなたにはありませんか?

または嫌な人、自分より強い人に対して、見えないように、目立たないようにちょっとした反抗をする。そして溜飲を下げる。こんなことをあなたはしたことがありませんか?

私はあります(苦笑)!! 大いにあります(苦)!!!! そして自分の小ささ、不甲斐なさを知り、苦しいなと思ったのです。自分を嫌にさえなったものです。あなたにはありませんか?

先の答えは、霊感はなくとも、このような恥ずかしい経験があるからこその答えだったのでしょう。藁にもすがる思いで、ご相談下さったお母さん。後日、私が答えたとおりに実行したのです。するとどうでしょう。娘さんの様子が少しずつ良くなってきたのです。最終的には、普通に生活できるようになったのだそうです。不思議ですね〜。

 

人間は、他人の目は誤魔化せても、自分自身には嘘をつけないということなのでしょう。ご相談いただいた方の娘さんもそうだったのではないかなと、今は感じるのです。そして、いい経験をさせていただいたいなと。恨んだり、祟ったりと言った心の作用は、自分自身を苦しませる原因になるものなのでしょうね。十分注意していきたいものです。

 

最後までお読み下さり、本当にありがとうございました。

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