現代は、神無き時代などと言われます。どういうことかというと、絶対的に安心して信じる対象がなくなったということ。もっと簡単に言うと、絶対的なものを認めなくなったということ。
人間の知恵が進み、殆どのことが人知で解決できるようになったのです。だから信じることで心を満たそうという行動はだんだんと影を潜めていったと言うわけです。
神無き時代…。これは私のような宗教を専門にしているものにも当てはまるのでしょう。どうしても即効性のある人知を優先してしまいますから。
例えばです。ある人が、誰かを信じよう!このように覚悟して付き合ったとします。こうなるには、なんらか良いフィーリングを得たのでしょう。現代人は、無条件で信じるということはしません。必ず、自分との関係性で良いと判断しなければ信じません。信じるにもいくらかの打算というのでしょうか?こういうものがなければならないのです。まさに神無き時代に生きているのです。
さあ、信じてみた。とてもいい人だから信じてみた。
ところが・・・。
何か裏切られるようなことが起こった。自分の意に反するようなことをした。
こうなると、信じようという覚悟はすぐに失われて、怒りを感じます。そして良い関係は、終焉します。いとも簡単にです…。
神無き時代。本当に信じるということは難しくなっています。打算を持たずに信じ、何があっても信じ続ける。このような信じ方はとても難しいです。家族、親子、夫婦という近い関係でも難しいでしょう。
信じるのは難しい。でも、まずは近しい関係からでも、このような信頼を構築していく必要があると思います。そうしないと、この世は疑いだけの世界になってしまうと思うから。常に周りに懐疑的にしていたら、心が休まりません。こんな世の中、誰も望んでいないはず!
まず家族などの近しい関係から。例えば、子供が言う事聞かなくても、変なことをしても、信じていく。信じ続けていく。行為については叱っても、人間としては信頼を失わないように強く心がける。つまり一回の失敗で、あいつはこうだ、ああだと決めつけないこと。こういうことが必要なのではないか。こう思うのです。
神無き時代ではありますが、信じるということを伝えていければと考えています。きっと生きづらい世の中をちょっとは良くすることにつながると思うから。宗教・信仰というものが役立つと思うから。
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