空(くう)とか・・・

著名人が、自分の投稿に対してなされたコメントに激怒したとか。こういうの私は嫌ですね・・・。

仏教には空(くう)なる思想があります。色即是空、なんとなく聞いたことがある言葉です。

難しいので、本当によく分かっていないのですが、この思想はあらゆるものを否定し、否定し、否定し尽くすことではないかと思っています。

言葉でいうならば「〇〇ではない」。この言葉で人・物を見ていく。譬えば、パンにたいして「パンではない」と言ったとしたら、今目の前になるものは何?となる。すると分解する以外ない。小麦粉やらバターやら水、ミルク、イースト菌、ショートニングなどと。

でも分解してみても、目の前にはそんなものはない。小麦粉やミルクがあるのではなく、ただパンがあるのみだ…。パンとして出来上がったものがあるだけだ…。

???パンなのに???パンじゃないの???・・・でもパンだよな???

果たして、一体、何なのやら・・・

こんな立場で物事をみるのが空なのかなと考えています。

私は「〇〇ではない」より「〇〇だけではない」という言葉を使っていきたいですが。

要するに、物事の多面性を認めるということが空なのでしょう。あれでもない、これでもない、あれだけではない、これだけではないと否定していくと、私たちが日常持っている、ものなどへの固定観念が崩れます。ものの多面性が現れます。この多面性は無限の可能性といえます。包丁は料理する道具ですが、人を殺傷する武器にもなります。他にも使い方次第でいろいろなことができるでしょう。これ、包丁に多面性があり、また無限の可能性を宿しているといえるでしょう。

譬えば運動の出来ない子をみて運動音痴だと決めつけないこと。もしかしたら運動がうまくなる可能性を認めていくこと。あらゆるものに多面性・無限の可能性を認めていくために、目の前に見えるものを否定し尽くす。パンをパンではない、パンだけではないと否定していく。これが空なのかなと考えています。

人と対する時、この人はこういう人だと決めつけていはいけない。ということでしょう。とっても難しいことですが、決めつけるようなことをせず、あらゆるものに無限の可能性を見出し、優しく見守っていく、協力していく。こういう姿勢こそ仏教が説いていることなのでしょうね。

本当にまだまだまだまだだなと思う今日この頃です。

最後までお読み下さり、本当にありがとうございます。

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