雛人形を飾る

先日、娘のために雛人形を飾り付けました。普段は家内と飾り付けるのですが、今回は私一人。雛人形の飾り付けは思った以上に手間がかかることを実感しました。

でも考えてみると、私たちの身の回りには手間をかけなければいけないことばかり。雛人形を一人で飾り付けたくらいで、手間などと言っていたら仕方がありません(苦笑)

手間だと言っても、こうして毎年写真を残しているのだから、そのとおりに飾り付ければいいわけです。何をやるかは分かっているのですから、後は手を動かすだけです。

本当に手間なのは、完成の予想が立たないもの。未来が見えないものに対して動いていくことです。

キルケゴールという宗教哲学者は「死に至る病」という本を書き、絶望が人の命を縮めると言っています。未来が見えない、予想が立たない、出口が見えないのは、即絶望へとつながりかねません。このような状態で、長く働かなければいけないとなると…。

宗教は、ままならぬ日常を生きる私たちの心に、希望の種、将来の青写真を示すものです。これを信じることで、私たちは自分の進む道が見えてくるというわけです。

いろいろな宗教がありますから、合う合わないがあることでしょう。怪しいと思えるものもあるでしょう。

それでも、宗教は一種の希望になりえます。絶望しそうの現実を生きている時の希望となり得ると思います。

もちろん、使い方が悪ければせっかくの宗教も悪い結果をもたらすでしょうが…、それを理解して利用していけばいいと思うのです。

お題目の教えは、仏様に成る種を私たちの心に植える教えです。この種植えから、新たなスタートを切れる教えです。ここから再出発という信仰です。

未来への青写真を持つことで、手間なこともやってみようと思えるようになると思うのです。

どうぞ有縁の方、積極的にお題目を唱えに来て下さい。お友達・ご家族をお誘い合わせの上、お参り下さい。

お待ちしております。

しかし、以外に上手く飾れたな〜と思ったりしています(笑)

最後までお読み下さり、本当にありがとうございました。

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