苦しいということ

辛いこと、苦しいことが起こるのが嫌です。起こらないで楽しく生きたいと心底思います。

・・・でも、なかなかできません・・・。

仏教では「人生は苦である」と達観しているところがあります。そもそも生きるのは苦しいことなのだよと教えてくれるのです…。

何という教えでしょうか…。救いも導きもないではないか・・・、このように思うこともありました。

でも漢字の作りを見るとなるほどなと納得せざるありません。

苦という漢字は、「くさかんむり」に「古い」という作りになっています。青々した草花が、時間の経過と共に変色し、やがては散ってしまう様子を現していると思われます。草花がずっと青々としていたいと思っても叶わないのです!時間は刻々と過ぎていき、何でも古くなるのです。

これはまさにこの世の真理です。若い溌剌とした状態でずっと生きていられる人はいないのです。体や頭が思い通りにならなくなるのです。どんなに健康に気を使っていようが、若い頃と同じようには出来ないのです。残念ですが、この世はこういうものでしょう。まさに苦なのです。

だからこの世が苦であるというのは真理です。誰にでも当てはまります。年取らない人はいないし、死なない人はいないのですから。

ならば真理である苦を苦のまま受け入れて、その上でどうにかしなければいけないということです。時間が経過して変化するというのは真理ですから、ここからは逃れられません。つまり苦からは逃げられないのですから。

ではどうするの?

ここで信仰というものがあるのだと思います。苦という真理の中を生き抜くために、心に拠り所を持つのです。この拠り所を自分の生き方の指針にするのです。

外にあるルールや仕組みにより安心を得るのではなく、信仰という自主的な営みにより自らの中に生きる指針を確立するのです。

こうなれれば、暗闇に懐中電灯を持つように、目の見えない人が杖を持つように、苦しみという真理・現実を強く生き抜いていけるのではないかと思うのです。

まあ、このように信仰を使えるようになるには、とても強い信仰心が必要でしょうが…。このような信仰心を得るのは、それはそれでとても大変なことでしょうが…。

残念なことに、漢字の苦から想像する苦しみというものは、この世の真理、誰も逃れることが出来ない法則です。ここからは逃れられない…。このことを私たちはよくよく知る必要があるのかもしれませんね。

今日もお彼岸中です。法施となればと思い、少し書いてみました。少しでもお考え頂けたらありがたいです。最後までお読み下さり、本当にありがとうございます。

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