信仰は、日常に希望を見出すための営みです

仏様や神様、霊魂っているの?と子どもたちによく聞かれます。

いないと思うの?って聞き返すと、よくわからないと素直な答えが返ってきます。いいですね。子どもたちは!

わからないというのは、正しい答え方だと思っています。だってこれらの存在は、いると思う人の心にいるのだし、いないと思ったら、いないといないのだとしか言えないから。なにか科学的な実験をして答えが出るものではないですから…。

さて、このようなわからない存在を、ではなぜあえて、いるとするのでしょう。いると考えると何かいいことがあるのでしょうか?

当教会ではあると確信しています。

なぜならば、私たちの一生は何が起こるか分からない。ちょうど真っ暗闇にいるようなものです。この真っ暗闇をたどたどしく進んでいくのはとても大変です。大きな石があるかもしれない。深い穴が空いているかもしれない。真っ暗闇だと進んでいる方向に何があるかわからないのです。とても不安なのです。

そこでこの真っ暗闇の中を不安なく進んでいる存在を(仮に)立てるのです。これが仏様や神様と言った宗教的存在だと思います。

石に躓いたら、起き上がる方法を

深い穴に落ちたら、這い出る方法を

これらの存在は教えてくれているものと考えています。

そしてなにより、これらの存在は真っ暗闇を進んだその先には明るい光があるのだと教えてくれているのだと思っています。つまり私たちの人生には希望があるのだと励ましてくれるのだと思うのです。

いるかいないかは、はっきり証明できません。人間の限界を超えた存在として仏も神も説かれているのですから、当然といえば当然です。

だからいる・いないはその人の考え方にかかってきます。いると絶対的に証明できればいいのですが・・・、私にはできません。だからこのような考え方をしています。

ただし以上のようにこれらの存在をいると信じることで、希望を持てる効果があると考えます。使いようだと言ってはそれまでですが…、信仰はこのように理解して行えば、少しは私たちに役立つものとして受け入れられるのではないかと感じています。

妙心教会はお題目信仰をもって、皆様が希望を手にするお手伝いが出来たらと考えています。ご気軽にお問い合わせいただければ幸いです。ご縁がありますように。

今日二本目の文章です。最後までお読み下さり、本当にありがとうございます。

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