拝んで商売繁盛するならば、俺もやるけれどね!

当教会とご縁のある方は、率直な方が多いようです。

ずっと前のことなのですが、ご信者様のご自宅に伺った時、そのご家族からタイトルの言葉をいただいたことがあります。明らかに宗教・信仰に対して否定的な言葉です。

神や仏を拝み、坊主に祈祷をしてもらう。これで何か望みがたちどころに叶う。・・・こんなことがあったら良いなと思います。坊主として、このような力があればとも思います。

でも不可能です。少なくとも私には不可能です。

神や仏というものが、なにか超越的な力を持っているように多くの人がイメージします。そしてこのイメージがあるから、この力を自分のために発揮してくれない時、マイナスの感情を持ちます。・・・なんで助けてくれないんだ!と。

また神や仏という存在に疑問を持っている方は、そもそも拝んだりしないでしょう。タイトルの言葉を仰った方もこういうタイプだと思います。やっても意味のないことはしないよ、という訳です。

私は、神や仏という宗教的存在は「何もしないけれど、ただ近くにいて見守っている」ものと考えています。私という出来の悪い人間を好きでいてくれて、いつも近くで、微笑んで見守っている存在だと考えています。

この神・仏の態度が、私の救いになります。導きになります。こう思うのです。いつも見守ってくれている存在に、自分の誠意を見せようと頑張ることになるから。

宗教は、このような誠意を全ての人々に発揮させようとするものだと考えます。自分で自分(=神・仏)に向き合い、誠意を持って生活していく。こういう生活態度を私たち人間にさせたいと説かれたものだと思います。・・・大変難しいのですが…。

だから祈るだけでは望みは叶わない。でも神・仏といういつも見守ってくれている存在を自分の中に持つことで、誠意ある生活が少しずつ出来るようになり、自分が変わり、周りが変わっていき、望みが叶っていくのだと考えます。

信仰は継続が生命線だと言います。とにかく続けていくこと。こういう継続の中、じょじょに力が発揮されるのでしょう。神・仏はこういう存在だと私は考えています。

ちょっと書いてみました。最後までお読み下さり、本当にありがとうございます。