作家と小説とその主人公

妙心教会の信仰の核心は、仏教はお釈迦様がご本尊(一番尊い・中心)であるというものです。

これは、仏教という宗教がお釈迦様により説き始められたのですから、当たり前のことと考えます。

しかし仏教には、お釈迦様以外にも仏様がいらっしゃいます。菩薩様という方もいます。天という方々もいます。

そしてこれらの存在を、自分の気持ちに従って信じているというのが現実です。例えば、宝くじに当たりたいから、福の神である大黒様にお参りするといった感じです。

他宗では、佛佛平等(ぶつぶつびょうどう)といって、仏様はみな同じなのだと説くのです。だからどの仏を本尊にしてもいいのだと…。

ただ私はそうは思えないのです。だって私たちの世界(人間世界)に生まれて仏様になった方はお釈迦様だけですから。私たちと同じ人間から仏様になったのは、お釈迦様だけですから。お父さん・お母さんは誰だれで、どういう生き方をしたかがわかっているのはお釈迦様だけですから。

私たちと同じ人間であった方が仏様になられたのです。お釈迦様とはこのようなお方なのです。つまり私たちと同じように感情があり、悩み苦しみがある中、修行を経て悟りを開かれた存在なのです。初めから偉かったわけではなく、いろいろな経験を経て、偉くなった方なのです。はじめから絶大な力を有し、偉かったわけではないのです。わたしはここがお釈迦様の尊いところだと考えています。

他の仏様には、このような人間として生きた事跡はありません。お経の中で説かれているだけの存在です。

そしてこういうお経を説いたのは、お釈迦様ということになっています。

このような状況で果たして本当に佛佛平等なのでしょうか????

私はお釈迦さまのほうが圧倒的に偉いと考えてしまいます。例えるならば、お釈迦様と他の仏様たちは小説家とその小説に出てくる登場人物のようなものだと思います。現実的存在と架空の存在というほど違いがあると思っています。

ホームズがいくら小説の中で活躍しても、実際に活躍させたのはコナンドイルです。ホームズの推理は、コナンドイルの推理なのです。

同じように他の仏様たちの活躍は、お釈迦様の活躍だと言えるのではないでしょうか?

当教会の信仰は、お釈迦様に仏教の全権能を持たせるものです。お釈迦様をご本尊と絶対に信じていくものです。ほかの仏様たち・菩薩・天といった存在は、このお釈迦様が仮に現れたものとみていく教えです。お釈迦様が根本なのだということです。

このようにお釈迦様の中心・ご本尊にすることで仏教は一つの大きな体系として見ていけるようになるのです。お釈迦様が中心になることで、別れてしまっている仏教が一つになることが出来るのです。

仏教はお釈迦様をご本尊とする統一された体系を有する宗教である。これが妙心教会の教えだと言えると思います。

ちょっとだけ教えについて意見を書いてみました。最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。