孝行らしいこと、少しも出来なかったんです…

お葬儀に行ったとき、お施主様がしみじみとおっしゃった言葉です。

お施主様には、いろいろと故人(親)さまに対する思いがあったのでしょう。そして故人様がお亡くなりになり、もう何もできないと思った時、自分が何もしていなかったのではと心底思ったのでしょう。

私は子供が出来てから思うようになりました。親は子供が生まれてくれたことだけでうれしいと思うものだと思うのです。誕生したことが最高の親孝行ではないかと。

親の立場になれば、このように思う方も多いのではないでしょうか?

しかし子供の立場になると…。

親には大変な迷惑をかけています。それでも見捨てられることなく一人前にしてもらっています。その労力といったら…。つまり子供として親にやってあげることと、親にしてもらったことを比較すると…、…比較にならないわけです。

昔、坊主の先輩に「親孝行などそう簡単にできるものではない。子供の立場で自分は親孝行だと思うようだったらそれはちょっと驕っているんだよ」などといわれたことがあります。

今回のお施主様は、家族の中も良く、何よりまじめなご人格。きっちり故人様とも接していた方です。

それでもこのように思ってしまうのですね…。いや、だからこそ思ってしまったのでしょうか????

私は、葬儀や年回忌という死者を弔う宗教儀式は、今回のお施主様が思ったような気持ちを抱えた方々のためにあるのだと言いました。

生前の親に何もできなかった自分。亡くなってしまってはますます何もできません。

こんな状態の時、せめて故人の菩提を弔う。故人のことを思い出すようにする。忘れないようにする。ありがとうと感謝する。自分にもたくさんの家族がいて幸せに暮らしているよと報告する。

このような場を提供するのが宗教儀式だと思っているのです。

だから皆様には法要に参列したら僧侶の読経中、故人の霊としっかりと向かい合ってほしいのです。そして今ここに故人の霊がいると感じて、いろいろと思い出し、語り合ってほしいのです。この時間はそれが十分にできるのですから!

生前に親孝行ができなかったとしても儀式を通して故人を忘れない様にすることはできます。「死」がなぜ怖いかというと、死によっていずれ自分が忘れ去れるからです。故人のことを家族、子孫につたえていけば、この恐怖を取り除くことになります。これは大変な功徳ではないかと考えています。死後の親孝行・先祖供養となると考えています。

儀式を単なる儀式だからと仕方なくやるのではなく、やるからには何かしらの意義を見出して儀式に臨んでいただきたいものです。

このような話を雑談みたいに話していたところ、年回忌もきちんとやろうと思うなどとおっしゃっていただけたのです。ありがたいことです。

妙心教会では、ご供養を承っております。ご気軽にお問い合わせ・ご相談ください。

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。